野里町歩紀

月1回のペースで大阪近郊の「野」「里」「町」を歩きます。そして合間にちょっと気になったことや世情について思いつくままつぶやきます。ただ論争は好みません。

忍者の里を歩く1~「伊賀上野城下町ずぼら歩紀」~

訪問日:令和7年6月18日(水)
出 発:JR「伊賀上野駅
到 着:伊賀鉄道「桑町駅」

 時の権力者に雇われ諜報・謀略・暗殺など非正規戦を担った集団。海外でも「JINJA」で通じる「忍者」。今回と次回の2回に分けて「忍者の里」を歩こうと思います。ただ私の目的は忍者研究ではなく歩紀です。第1回目は「伊賀流」。毎週末は雨。そして晴れれば孫の運動会。ということで梅雨の合間を狙い週休日である水曜日に歩きました。ただ梅雨というのに今日は全国的に「猛暑日」。熱中症対策と明日は仕事のため「ずぼら歩紀」。つまりハーフです。城下町として栄えた「伊賀上野」の町歩紀のため給水・トイレの心配はありません。さあ歩くでござるぞ。


 大阪駅からJR大阪環状線大和路線を経て加茂駅で関西本線に乗り換えです。「本線」と言っても1両編成のワンマンカー。私は大阪駅でICOCAをタッチしてきたので必要ありませんでしたが、通常は車両ドア横のIC改札機にタッチするか交通系カードがなければ、バスのように整理券を取って運賃とともに運転席横の運賃箱に入れなければなりません。そのため運転席横のドアから乗降する必要があります。交通系カードを持参しましょう。

 

 今日のスタートはJR関西本線伊賀上野駅」。駅南側がロータリーになっています。大阪駅から約2時間(1520円)。大阪市内の通勤ラッシュと真昼の炎天下を避けるため早めに自宅を出発しました。瓦屋根の堂々たる駅舎です。午前9時、今日も元気に出発です。ここは「三重県伊賀市」。そうここは三重県なのです。

 

 駅前には「芭蕉句碑」。伊賀市松尾芭蕉のふるさとでもあります。芭蕉は1日何10キロも歩いたので「芭蕉忍者説」っていうのもありましたね。「歩紀ニスト」の私は「歩く文系偉人」松尾芭蕉と「歩く理系偉人」伊能忠敬を尊敬しています。

 

 今日の「野里町歩紀」です。

 

 なお今日のスタートであるJR「伊賀上野駅」から「上野市駅」を経て近鉄伊賀神戸駅」まで「伊賀鉄道」というローカル私鉄線が走るのですが、ちょっと変わった「歩紀人」は駅前から南にまっすぐ伸びる道を進みます。「ニンニン」。

 

 この道は途中から国道422号線になります。ファミマを過ぎ「伊賀上野橋」で服部川を渡ります。服部?半蔵?

 

 国道沿いは地方都市でよく見られる光景。いろいろな店が並びます。左側の歩道を歩きましょう。

 

 途中から国道は高架になりますが高架脇の細い道に入ります。

 

 地図を頼りに狭い路地を左に曲がれば鳥居が。「平井神社」です。鳥居の扁額には「平井天神宮」と書かれているので天神さん(菅原道真公)をお祀りするのでしょうね。(午前9時23分)

 

 ただ他にも天孫系の神様が多数祀られているので古い神社なのでしょう。今日一日の安全を祈願します。

 

 鳥居まで戻り左へ。すぐ左に何やらレトロな建物が見えます。これは「旧小田小学校本館」。

 

 現存する校舎では三重県で最も古いそうです。

 

 明治14年10月に建てられた洋風2階建て校舎で、午前9時から午後4時30分まで一般公開されています。(入場料300円=JAF会員割引200円)

 

 次の辻を左に入り今は保育園になっている旧小田小学校敷地の南側を進めば突き当たるので右の上り坂に進みます。ここは「堀の道」と呼ばれています。

 

 坂を上りそのまま進めば左に堀が。その向こうには石垣が見えます。これはこの後訪れる伊賀上野城の「内堀」。そして石垣は高さ30mほどあり大坂城に匹敵する高さです。

 

 学校横を通り抜け国道163号線に突き当たれば右に古い建物が。「旧崇広堂」。「すうこうどう」と読みます。門が赤いので「赤門」と呼ばれています。(午前9時43分)

 

 「津」(日本で一番短い地名)の藩校「有造館」の支校として江戸時代末期に建てられたそうです。(入場料300円=JAF会員割引200円)

 

 国の史跡に指定されており内部が公開されています。

 

 講堂には「崇廣堂」の扁額。

 

 講堂と言っても当然畳敷きですよ。

 

 赤門から出て左へ。国道163号線を進めば左に「三重県立上野高等学校」の正門。明治32年開校の古い公立学校です。

 

 防球ネット越しになりますが門から見えるレトロな校舎は明治33年に建築され「明治校舎」と呼ばれています。伊賀上野は教育に熱心なところなんですね。

 

 伊賀高校の敷地を過ぎれば左に「伊賀上野城白鳳門」。伊賀上野城の正門ですが古図には描かれていないそうです。くぐりましょう。上野高校伊賀市立上野西小学校の間を進みます。今は「上野公園」として整備されています(上野公園の入口を撮影したのですがデジカメには写っているものの何故かデジカメソフトには取り込まれません。所詮中国製品ですから。次からは使いません)。

 

 突き当りを左に進み公衆トイレの前を過ぎた小さな広場の奥からは、先ほど内堀越しに眺めた石垣を上から見下ろすことができます。

 

 本丸広場に進みましょう。大小ふたつの天守閣を眺めます。伊賀上野城天正13(1585)年、筒井定次により築城されたそうです。当時の天守閣はここから東へ100mほどのところにありました。(午前10時7分)

 

 その後、慶長13(1608)年、徳川家康からの信頼が厚かった藤堂高虎が伊予の国(愛媛県)から国替え、西に本丸を拡張し五層の天守閣を建築していたところ、慶長17(1612)年9月当地を襲った暴風雨により倒壊してしまったそうです。また筒井定次天守寛永10(1633)年頃に倒壊したと推定され、以後、天守は再建されることはなかったそうです。(出典:公益財団法人伊賀文化産業協会ホームページ)

 

 そして現在の天守閣は、伊賀出身の川崎克という代議士が私財を投じ、昭和10年に復興されました。いいじゃないですか。現存12天守を除きどこの城も後の時代の人たちによって再建されているのです。城は国の誇り。立派な「昭和の天守」です。

 

 天守閣は博物館になっています。(入場料600円=JAF会員割引はありません)

 

 そして最上階の展望台からこの後歩く城下を眺めます。

 

 天守閣の見学を終え「台所門(裏門)跡」から城の北側に回ります。

 

 そこには「俳聖堂」。松尾芭蕉生誕300年を記念して昭和17年に建設されました。昭和17年といえば戦時中ですね。

 

 八角の建物は国の重要文化財に指定されています。

 

 その隣には「伊賀流忍者博物館」。ここはいろいろなショーやアトラクションが中心のようです。入場料1000円を払い入りましたが、今日は団体客があるということで30分待ち。「ウ~ン」先を急ぐので見学はあきらめました。「先に言ってくれたらな~」。

 

 ただ忍者ショーは別料金とか。料金体系がよくわかりません。仕方ないので奥にある「忍者伝承館」に行きました。ここは無料ですが1000円払ってますから。

 

 中は忍者資料館です。以前、韓国の「ウリジナル」が忍者の起源は韓国の「花郎ファラン)」と騒ぎ立てたことがありますが、まあ時の権力者を支える非正規部隊なのでいつの時代、どこの国にもそれなりの組織はあったでしょう。韓国にも「花郎」という組織があったんですね。すごいじゃないですか日本よりも昔に。でも日本で始まったものを忍者って言うんですよ。「グリーンベレー」の起源も花郎ですか?何も外国(特に日本)に対抗心を持たなくてもいいじゃないですか。自国の歴史や文化に自信を持ちましょうよ。

 

 公園の東端には「芭蕉翁記念館」(入館料300円)がありましたが、今日は休館日のようでした。

 

 伊賀上野城を後にします。改装工事中の「旧伊賀市役所」前を過ぎ左折。「丸の内交差点」を右に曲がり伊賀鉄道の踏切を渡ります。すぐ右には「上野市駅」。愛称は「忍者市駅」のようですね。愛称の方が大きいですね。大正5(1916)年の開業で国の登録有形文化財に登録されています。(午前10時39分)

 

 駅前ロータリーには「芭蕉翁像」。市内にはいくつかの芭蕉像や多数の芭蕉句碑がありますよ。

 

 さあ、ここからは城下町伊賀上野の「町歩紀」です。「新天地」というレトロなアーケード商店街を左に見ながら駅南側の「外堀通り」を西に進みます。

 

 右には「成瀬平馬家長屋門」。藤堂藩時代の武家屋敷で天保12(1841)年ころに建築されたと推定されています。

 

 5分ほど歩けば右角にレトロな木造建築物が。「北泉家住宅主屋」。(午前10時46分)

 

 明治時代初期の建築で国の登録有形文化財に登録されています。初代上野警察署庁舎として使用されていたそうです。

 

 住宅の陰になっていたので見過ごしてしまいそうですが、振り返れば角に「西大手門跡碑」。伊賀上野の中心部には「西之立町通り」「中之立町通り」「東之立町通り」という3本の道が南北に走っています。この道は「西之立町通り」。南へ進みます。

 

 すぐに信号のある交差点と交わります。街並みはこれら3つの通りに東西に走るいくつかの通りが交わり碁盤の目状になっています。ここは「本町通り」です。左へ曲がりましょう。この道は「旧大和街道」。風情がありますね。

 

 旧家の隣にあるのは古くからあるお漬物屋さんのようです。お店のホームページによると慶應元年の創業で「養肝漬」という藤堂高虎の時代からあるお漬物を漬けているそうですよ。

 

 「明覺寺」というお寺の門の隣にもレトロなビルが。「上野文化センター」。元は商店の倉庫として大正11(1922)年に建てられたそうです。国の登録有形文化財に登録されています。

 

 その向かいには和菓子屋さん。この店も良い雰囲気ですね。

 

 その先にある「上野本町通郵便局」の右から「中之立町通り」が突き当たってきます。そこには「上野町元標」が埋まっていました。ここが町の中心なんですね。

 

 「東之立町通り」を渡りましょう。この通りは「銀座通り」とも呼ばれています。

 

 旧大和街道は神社に突き当たります。社号標には「上野天神宮」。菅原神社とも呼ばれています。(午前11時1分)

 

 立派な楼門は元禄14(1701)年に建てられたそうです。

 

 その隣にある「鐘楼」は寛永4(1627)年に建てられものが貞享5(1688)に建替えられました。

 

 また秋の例大祭ユネスコ無形文化遺産に登録されたようです。

 

 伊賀の町には和菓子屋さんが多いですね。

 

 迂回するように神社の南側を旧大和街道が進みます。そしてその先の四つ辻は「寺町通り」。右に曲がりましょう。

 

 300mほどの通りの左右に7つのお寺が並びます。

 

 7つ目のお寺である「大超寺」を過ぎれば墓地のある角を右へ曲がります。その先2つ目の四つ辻を右に曲がりUターンするような形で北へ歩きましょう。

 

 前方に先ほど訪れた上野天神宮の木が見えれば左折。この道は東西に走る「二之町通り」です。

 

 信号はありませんが、東之立町通り(銀座通り)を越えてさらに西へ。角に古いお菓子屋さんが見えれば中之立町通りです。

 

 左にもお休みのようですが古いお茶屋さん。

 

 そして角に立つのは「星野家住宅主屋」。(午前11時25分)

 

 屋根には「ニンニン」。忍者瓦と言うそうです。

 

 まだまだ二之町通りを西へ進みます。右に「だんじり庫」が2棟立っていました。このお祭りがユネスコ無形文化遺産に登録されたんですね。

 

 左に立派な屋敷がある四つ辻に出れば西之立町通りです。日射しが強すぎてよく見えませんね。

 

 この建物は「寺村家住宅主屋」。江戸時代後期に建てられた両替商の居宅で国の登録有形文化財に登録されています。

 

 向かいの角には「菊岡如幻翁旧宅跡」と刻まれた碑が立ちます。質屋・両替商の四代目市左衛門行宣という人の居宅跡で文人として「菊岡如幻」と名乗ったそうです。この四つ辻を左に曲がります。

 

 次の四つ辻が「三之町通り」。左へ曲がります。結構宅地化が進んでいますが、大きな寺院が当時の面影を残しています。

 

 そして銀座通りを越えれば右に「武家屋敷入交(いりまじり)家住宅」。(入場料300円=JAF会員割引200円)

 

 長屋門をくぐれば茅葺きの立派な主屋がありました。

 

 武家屋敷の大半は藩の所有で藩士の俸禄に合わせて貸し与えられたそうです。いわゆる「官舎」ですね。

 

 内部が公開されています。

 

 靴を脱いで上がることもできます。 

 

 見学を終え、そのまま進めば先ほど歩いた寺町通りの1本西の通りに出るので右折。2つ目の辻、そう先ほど寺町の7つ目のお寺「大超寺」から入った四つ辻に出るので右折しましょう。「北忍通り」と言います。この道は中之立町通りに突き当たります。そこにも立派なお屋敷が建ちます。(午前11時53分)

 

 「赤井家住宅」という国の登録有形文化財に登録されている武家屋敷でイベント用などに貸し出されているそうですよ。庭園は自由に見学できますが今日は休館日でした。平日は人が少なくて良いのですが休みの施設が多いのがやや「難」ですね。

 

 中之立町通りを南に進みましょう。こんな看板があったので入って見ました。

 

 なんとレトロなお風呂屋さん(銭湯)でした。あいにく営業時間前でしたが、郵便ポストと「一乃湯」のネオンが「昭和」ですね。夜に来てみたいな。そして入ってみたいな。

 

 中之立町通りに戻りさらに南へ。「蓑虫庵」への案内板の向こうに「愛宕神社」の赤い鳥居。最後の神社にお参りしましょう。

 

 愛宕神は本来「火伏」の神様ですが、境内社として「忍之社」があり別名「忍者神社」とも呼ばれています。(午後0時)

 

 さあ、先ほどの案内板まで戻り、最後の見学先「蓑虫(みのむし)庵」へ向かいましょう。芭蕉の門人「服部土芳」の居宅だったそうです。(入場料300円=JAF会員割引はなかったような)

 

 かつては「芭蕉五庵」と言って5つの庵があったそうですが、現存するのはこのひとつだけ。

 

 「古池塚」と書かれた後ろには小さな池がありました。「古池や 蛙飛び込む 水の音」

 

 順路の最後に展示室兼休憩所がありました。クーラーが効いています。さっきから頭がズキズキするのですが、おそらく軽い熱中症でしょう。まだ6月。それも午前中ですよ。今後6~9月の4カ月は「ずぼら歩紀」だな。しばしクールダウン。

 

 さあ、これで城下町伊賀上野の「町歩紀」は終わりです。蓑虫庵から真っ直ぐ進めば銀座通りの延長線上に出るのですが、途中の看板に誘われて路地に入ると。レトロなお風呂屋さん。水曜日は定休日のようですが営業自体やっているのでしょうか。

 

 銀座通りに出て右へ曲がると「レストランito」というお店がありました。

 

 良い時間です。昼食としましょう。

 

 伊賀肉ステーキのお店のようですが「エビフライ定食(2尾)」(税込1250円)を注文しました。「味噌」がかかっているのを見ると三重県はやっぱり東海(中部)地方なんですね。そしてこの後はずっと電車です。ランチビール(税込650円)を付けても罰は当たらないでしょう。冷たいビールで「かんぱ~い」。

 

 昼食を終え午後1時ゴールに向かって出発です。ただまだ時間はあるのでちょっと寄り道をしましょう。銀座通りを南に進めば「桑町交差点」からは国道422号線になります。そのすぐ先で左に入る路地があるので進みましょう。この後乗る伊賀鉄道を跨ぐ橋がありました。何だかレトロな欄干です。(午後1時7分)

 

 横の空き地からのぞき込むと橋の全容が望めました。赤煉瓦造りの「伊賀鉄道桑町跨道橋」。創業当時(大正11年)に建造されたそうです。国の登録有形文化財に登録されています。

 

 さあ元に戻りさっき通り過ぎた四つ辻を左折。小さな川を越えれば左に本日のゴール伊賀鉄道「桑町駅」が突然現れます。駅舎と言うより停車場と言う感じですね。公衆電話と自動販売機はありますがトイレもない無人駅に午後1時15分到着です。

 

 本日の歩紀「17213歩」(11.70km)。午後1時42分発の電車に乗ります。

 

 券売機はなく出入口にIC改札機がありタッチします。カードがなければバスのように整理券を取り運賃箱に料金を入れます。そのため無人駅は運転席横の一番前のドアしか開きません。ただ私が乗った時は車掌さんではありませんが切符売りのおじさんが乗っていました。

 

 伊賀鉄道の歴史は古く、大正11年までさかのぼるそうですが、現在の伊賀鉄道は平成19年に近鉄の子会社として生まれ変わったそうです。「伊賀上野駅」から終点「伊賀神戸駅」まで16.6km。伊賀神戸駅近鉄大阪線に乗り換え、JR大阪環状線を乗り継ぎ大阪駅まで約2時間30分(1890円)。そろそろ暑くなってきましたね。これからは熱中症との戦いです。次回は「甲賀」を歩きます。