野里町歩紀

月1回のペースで大阪近郊の「野」「里」「町」を歩きます。そして合間にちょっと気になったことや世情について思いつくままつぶやきます。ただ論争は好みません。

東京歩紀~武蔵野「玉川上水」を歩く~

訪問日:令和7年10月4日(土)
出 発:多摩モノレール玉川上水駅
到 着:JR「吉祥寺駅

 先日「和菓子」の記事で紹介したとおり10月4日(土)は、東京での職場研修で一緒だった同僚との懇親会が東京でありました。早朝、高速バスで新宿に着いたため、夜の懇親会までの時間潰しに武蔵野台地を流れる「玉川上水」を歩くことにしました。理由は、外国人だらけの都心を避けたかったことと「武蔵野」は思い出の地でもあるからです。「大東京」です。給水・トイレには困りません。

 


 JR新宿駅から中央線青梅行き特快で立川駅まで行き、隣接する立川北駅から多摩モノレールに乗り換えます。

 

 今日のスタートは「玉川上水駅」。西武拝島線も乗り入れています。新宿から約55分。運賃は748円。東京って交通系ICカードを使えば1円単位で計算されるんですね。午前8時45分、駅南口を出発します。ここは東京都立川市

 

 駅のすぐ前が玉川上水への入口です。玉川上水自体は、ここから13kmほど西にある多摩川との分岐点から、杉並区久我山付近で暗渠に入り新宿区四谷付近まで約43kmほど流れるそうです。今日は時間の関係で、ここから武蔵野市の「井の頭公園」まで約20kmを歩きます。ちょうど良い距離ですね。

 

 駅前から「松の木通り」という道を進めば、すぐ右に「東京都水道局小平監視所」。ここで道は二手に分かれます。右が玉川上水。左の松の木通りは、「野火止用水」という玉川上水から分流した用水に沿って続くのですが、ちょっと寄り道しましょう。松の木通りに進みます。土が黒いでしょ。

 

 300mほどで清掃工場でしょうか。大きな煙突がある建物手前の路地を右に入ります。角を曲がれば住宅街の真ん中に小さな鳥居が見えました。「一之宮神社」です。お参りしましょう。

 

 鳥居をくぐったところにある由緒を読むと、野火止用水はなかなか水が流れなかったため、宮崎主馬という人がここに祠を建て「水分神」と「豊受神」をお祀りしました。すると大雨が降り、一夜にして玉川上水の水が野火止用水に流れ込んだそうです。こうして一之宮神社の社号を賜ったそうです。今日一日の安全を祈願します。

 

 先ほどの小平監視所まで戻ります。すぐ先に小さな階段があり、下りれば「甦る水」という小さな人工の滝がありました。ここが野火止上水との分岐だそうです。まるで山奥のようですね。

 

 玉川上水は、承応2(1653)年、羽村から四谷まで多摩川の水を引き、武蔵野の田畑や江戸町民の喉を潤しました。平成15年8月、国の史跡に指定されるとともに、現在も東京都の水源として利用されています。すごいですね。

 

 柵を入って玉川上水に進みます。左が野火止上水です。この辺りから東京都小平市に入り、玉川上水立川市との市境になります。(午前9時)

 

 玉川上水は何故か左岸(北)側に見どころが多いので、基本的にずっと左岸を歩きます。

 

 住宅街を流れるのですが、前半は上水に沿って鬱蒼とした遊歩道になっており、深い森の中を歩いているような感じですよ。私も初めて東京に来た時に感じたのですが、東京はとても緑豊かな都市です。

 

 左側には「中島町南公園」。公衆トイレがあります。その先には「新堀用水胎内堀坑口」。

 

 説明文によると新堀用水は、玉川上水から分水する8つの用水を統合するため、明治3年に掘られた用水だそうです。しばらく玉川上水に沿って流れます。

 

 「小川橋」に出ました。フェンスに囲まれていますが角には「小川橋供養碑」。これは亡くなった人を供養するものではありません。以前、大阪池田の余野街道を歩いた時にも「道供養」を訪ねましたが、道そのものや道を開いた人を供養するもので道標も兼ねていたそうです。ここは横断歩道が右岸側にあるので、ぐるっと回って都道を渡り左岸に戻ります。(午前9時14分)

 

 次の都道を渡れば左に「小川町1丁目特別緑地保全地区」。本当に森の中にいるようですね。でもここは住宅街のド真ん中なんですよ。大阪で言えば、前回歩いた「旧大和川」の八尾市や東大阪市のような位置関係です。

 

 左に「朝鮮大学校」が見えてきました。校舎の屋上にはハングルで「主体朝鮮の太陽 金正恩将軍様 万歳!」。どんな勉強をしてるんでしょうね。

 

 その先で新堀用水を渡れば「上水公園」。公衆トイレがあります。(午前9時33分)

 

 専用歩道橋を渡るのは「創価高校」。今日は時折小雨が降るあいにくの天気でしたが、緑のトンネルのおかげで一度も傘をさしませんでした。

 

 遊歩道は鉄道に突き当たりました。右岸側に踏切があるので「西武国分寺線」を渡って橋で左岸に戻ります。「東村山」行きです。

 

 線路を越えれば左に大きな公園が。「小平市立中央公園」。(午前9時46分)

 

 緑の中に球場や陸上競技場、テニスコート、体育館などがあるスポーツ公園です。

 

 都道が「久右衛門橋」で玉川上水を渡ります。その左にも緑豊かな敷地が。

 

 「津田塾大学小平キャンパス」です。そう明治33(1900)年、津田梅子により創立された英学塾を前身とする大学です。

 

 津田塾大学に沿って上水を進めばこんな施設が。この真下をJR武蔵野線が走っています。そして私の記憶が確かであれば、かつて「オウム真理教」というカルト集団が猛毒のVXガスを付近の地中に隠匿する際、目印にされたものだと思うのですが。

 

 その先に架かる小さな橋で右岸側に渡りましょう。そこには「小川水衛所跡」。江戸時代に設けられていた「水番所」を新政権が引継ぎ、「水衛所」として上水の保守点検や水量確認などを行っていたそうです。(午前10時)

 

 大きな錦鯉が泳いでいます。玉川上水は水深が浅いので鯉は腹を擦りながら泳いでいます。いつか進化してヒレが足になるんじゃないでしょうか(笑)

 

 橋で左岸に戻りさらに進みます。「名勝境界の碑」という小さな石標が埋まっていました。玉川上水は名勝に指定されているため、その境界を示すためのものだそうです。

 

 その先に架かる橋は「商大橋」。

 

 実はすぐ向かいにある「大学改革支援・学位授与機構」という銘板がはめられた施設は、かつての「東京商科大学」。現在の「一橋大学(小平国際キャンパス)」なのです。玉川上水沿いには古い学校が多いですね。

 

 案内版に導かれるまま一橋大学キャンパス東側の路地に入れば「平櫛田中彫刻美術館」。外観だけの見学ですが、日本近代木彫界の巨匠と呼ばれる平櫛田中の居宅(アトリエ)跡だそうです。

 

 桜橋で「西武多摩湖線」に突き当たるので右岸側の踏切を渡ってぐるっと左岸に回ります。左側を走るのは「五日市街道」。この辺りから鬱蒼感が薄れます。

 

 「喜平橋」に出ました。結構大きな交差点なので左右のどちらかにそれて横断歩道を渡りましょう。(午前10時27分)

 

 「茜屋橋」を過ぎれば玉川上水から南側は東京都小金井市になります。

 

 「貫井橋」を過ぎ、次の「小金井橋」の手前には「名勝小金井櫻碑」。元文2(1737)年、八代将軍徳川吉宗の命により、小金井橋を中心に両岸6kmにわたって吉野や常陸から種苗を取り寄せサクラを植樹したそうです。そのことにより大正13年、名勝に指定されました。先ほどの名勝境界の碑は、それを示すものだったんですね。ここで小平市と別れ小金井市に入ります。

 

 小金井橋を渡れば「御成の松跡」。小金井櫻には多くの文人・武士が花見に訪れたそうです。天保15(1844)年、まだ世継であった13代将軍徳川家定が、ここに御座所を設けて宴を催したのを記念して村人らにより一本の黒松が植えられたそうです。今も松の木が植えられていますが、当時の松は残念ながら平成6年に枯れてしまいました。

 

 少し進めば「江戸東京たてもの園前交差点」。入って行きましょう。ここは、昭和29年1月に開園した「都立小金井公園」という大きな公園です。東京ディズニーランドよりも広いそうです。

 

 隣接して「小金井カントリー倶楽部」という大金持ちの「遊び場」があるのですが、その倍くらいの大きさです。

 

 その一画にあるのが「江戸東京たてもの園」。これから見学するのですが、ここだけでも十分に見ごたえがあります。写真撮影が中心になるので後日「別記事」として紹介したいと思います。お楽しみに。(午前10時57分)

 

 建物の内部など丹念に見学すれば2時間ほどかかります。時間の関係上、残念ですが50分ほどで見学を終えました。時間は。今日は、小金井公園入口にある「そば茶屋さくら」で昼食です。

 

 「かき揚げぶっかけ蕎麦(冷)」(税込750円)を注文しました。私は「うどん派」なのですが、東京はやっぱり「蕎麦」ですね。

 

 午後0時再出発。えっ、注文してから食べ終わるまで10分しか経ってないの。私の「早食い」は職業病なのです。この辺りから遊歩道はとても狭くなります。

 

 左には小金井公園の入口。まだまだ小金井公園は続きます。本当に大きな公園なんですよ。

 

 すぐ横の五日市街道の歩道の方が広いのですが、あえて狭い上水沿いの遊歩道を歩きます。

 

 道沿いに畑が見えます。私は初めて東京(武蔵野)に来た時に驚いたのは、畑ばかりでまったく田んぼがなく、そして土が「真っ黒」だったことです。私の感覚では土は「薄茶色」でした。これが社会科の授業で習った「関東ローム層」っていうのでしょうか。逆に小学校のグランドなんかは、雨が降るとぬかるむのでコンクリートを砕いたような砂が撒かれており真っ白です。風景は地方によって様々ですね。

 

 さらに玉川上水を進みます。「関野橋」を渡った辺りで左岸は東京都武蔵野市になり、その先の「武蔵野市桜堤三丁目交差点」を過ぎたところで東京都西東京市になります。西東京市は、平成13年、田無市保谷市平成の大合併でできた比較的新しい市です。「東京市」っていう響きが「明治チック」で良いですね。

 

 やがて「境橋交差点」に出ました。割と大きな交差点です。ここで左に大きくカーブする道沿いにもグリーンベルトが続くのですが、これは玉川上水から分流した「千川上水」です。(午後0時30分)

 

 ほぼ暗渠化されていますが、その上を4kmほどの遊歩道が続きます。東京は上水が多いですね。やはり当時世界最大の都市といわれた「江戸」の住民のため、網の目のように上水道が張り巡らされていたのでしょうか。そしてそれが「緑」として残っています。西東京市千川上水とともに北へ流れます。

 

 境橋を過ぎれば「史跡碑」。

 

 その先には「境水衛所跡」。千川上水との分岐点に設けられた水番所です。

 

 たとえこのような形でも遊歩道を残してくれていることに感謝。大阪だとおそらく道路として拡張されちゃうでしょうね。金を産まないものは、すぐ現金化する土地柄ですから。

 

 「桜橋」の手前には「国木田独歩文学碑」。玉川上水を訪れた多くの文人のひとりです。

 

 桜橋を過ぎた所に公衆トイレがあります。左に見えるのは「東京都水道局境浄水場」。

 

 途中、ちょっとした空間がありました。ここはかつて国鉄中央線から浄水場に引き込まれていた「専用線橋台」の跡だそうです。間もなく上水から南側は東京都三鷹市になります。

 

 玉川上水の崖は結構深いですよ。太宰治玉川上水で入水自殺しましたが、もし落ちればひとりでは上がって来れないでしょうね。

 

 浄水場を過ぎて横断歩道を渡ります。歩道と並んで「ぎんなん橋」という小さな橋が架かっています。そして何やら線路のようなものが。

 

 これはかつて零戦のエンジンなどを作っていた「中島飛行機武蔵製作所」への「引き込み線橋台跡」。つまり戦争遺跡です。現在、武蔵製作所は「武蔵野中央公園」やNTTの施設になっており、グーグルの航空写真で見ると線路跡と思われる緑道が確認されます。


 その先には「西久保公園」。公衆トイレがあります。

 

 さらに進めば「野鳥の森公園」。東京は本当に緑が豊かですね。そして自然のままというか植林でなく、雑木林として残っています。

 

 そのまま進んで行けば、玉川上水は大きな施設の下に潜り込んで行きます。JR「三鷹駅」です。そう玉川上水三鷹駅の下をくぐるのです。というか三鷹駅玉川上水の真上に建てられているのです。

 

 駅北口から駅構内に入ります。(午後1時14分)

 

 駅ビルは改札外の自由通路になっているので、そのまま通り抜け南口へ。駅の東端に「緑の小ひろば」という小さな広場があります。「手動ポンプ井戸」がある三鷹橋からは玉川上水の右岸を歩きます。と言っても間もなくゴールなのですが。こちら側は三鷹市

 

 途中、マンション合間のポケットパークのような所に何やら碑が。「太宰碑」です。

 

 そしてさらに50mほど進めば「玉鹿石(ぎょっかせき)」。太宰治入水の地です。この辺りだったんですね。「合掌」

 

 この石は、太宰治の故郷である青森県北津軽郡金木町から取り寄せたそうです。

 

 右岸は「風の散歩道」と呼ばれているようです。

 

 そのまま真っ直ぐ進めば玉川上水は「井の頭公園」へと入ります。そして私の玉川上水歩紀はここで終わります。(午後1時28分)

 

 井の頭公園を散策しましょう。正式には「都立井の頭恩賜公園」といいます。三鷹市から武蔵野市に戻っています。

 

 井の頭公園は、大正6年5月に開園した古い公園で、サクラの名所であり武蔵野の面影を深く残しています。ボート乗り場のある池や動物園、ジブリ美術館などが有名です。

 

 池の畔には「井の頭弁財天」がお祀りされていました。

 

 ただ私が一番最初に思い浮かぶのは、中村雅俊さん主演のテレビドラマ「俺たちの旅」でしょうか。ロケ地としてよく放映され、その景色だけで東京に憧れたのを思い出します。

 

 「♪ 夢の坂道は 木の葉模様の石畳・・・ ♪」。

 

 池の上半分を一周して井の頭公園を後にします。

 

 JR中央線のガードをくぐれば本日のゴールJR「吉祥寺駅(北口)」に到着です。「きちじょうじ」と読みます。「きっしょうじ」ではありません。時間は午後2時。

 

 本日の歩紀「29073歩」(19.76km)。思い出の地「武蔵野」を歩きました。ずっと地道だったので距離の割には足が楽です。家へのお土産を買った後、午後2時28分発の電車に乗ります。大東京の一画を歩きましたが、緑がいっぱいだったでしょ。

 

 なぜ武蔵野が思い出の地なのか。実は私たちの研修先は中央線沿線にあったのです。吉祥寺は大きな町です。2年間の東京生活は、ほぼ吉祥寺までで「完結」しました。

 

 田舎者なので上京当初は、「銀座」「渋谷」「池袋」「上野」など聞いたことがあるところには大抵行きました。しかし東京は大都市です。武蔵野からそうそう都心に出ることはできません。よく行って中央線で直結の「新宿」どまり。それもたまにです。中野もそんなには行っていません。

 

 吉祥寺には「近鉄百貨店」があったはずなのですが、今はヨドバシカメラになっているようです。

 

 お洒落な町です。沿線には大学が多いので「学生の街」ともいわれていました。

 

 ただ「庶民的」な一面もある不思議な町でした。懐かしいな。

 

 さあ懇親会は午後5時からです。ひと風呂浴びて旅の疲れと歩紀の汗を流しましょう。

 

 ということでやって来たのは中央区銀座8丁目にある「金春湯」。「こんぱるゆ」と読みます。江戸時代、すぐ前の通りに能楽金春流」の屋敷があったことから「金春通り」と呼ばれていたことに由来するそうです。

 

 ビルの中にありますが、江戸時代の文久3(1863)年から続く古い銭湯です。内部は撮影できませんが、レトロで昭和の銭湯そのものですよ。一般銭湯なので550円。午後2時から営業しています。ここから懇親会の会場まで歩いて10分ほど。みんなに会えるのが楽しみです。