野里町歩紀

月1回のペースで大阪近郊の「野」「里」「町」を歩きます。そして合間にちょっと気になったことや世情について思いつくままつぶやきます。ただ論争は好みません。

寄り道歩紀「江戸東京たてもの園」

訪問日:令和7年10月4日(土)

 武蔵野「玉川上水」を歩いた際、「江戸東京たてもの園」に立ち寄りました。ここだけで50枚ほどの写真を撮影しましたので、別記事として紹介させていただきます。なお説明文の大部分は、同園パンフレットの受け売りです。


 玉川上水沿いの五日市街道「江戸東京たてもの園前交差点」。ここは「都立小金井公園」への入口でもあります。角に交番があります。


 サクラ並木と広い芝生を抜けたところに江戸東京たてもの園がありました。現地では保存不可能な歴史的価値の高い建造物を復元・保存・展示するため、平成5年ここ小金井公園内に開設されました。レトロファンの私にとっては、たまらない施設ですね。


 一般観覧料は400円ですが、何と65歳以上は200円でした。年を取ると良いこともありますね。午前11時入園です。


 園内に設置されている案内図です。約7haの敷地に30ほどの復元建造物のほか皇居の飾電燈や石塔などが屋外展示されています。出入口であるビジターセンターも昭和15(1940)年に皇居前広場で行われた「紀元2600年記念式典」のため建設された「旧光華殿」を移築したものです。


 エントランス広場の左には「午砲」。皇居旧本丸跡に設置され、明治4年から昭和4年まで空砲により正午を告げました。


 正面突き当りには「旧自証院霊屋」。尾張藩徳川光友正室「千代姫」が、母「お振の方」を供養するため建立した霊廟です。


 右へ進みます。すぐ右に立派な屋敷が見えてきました。この辺りは「センターゾーン」と呼ばれる区画です。


 「高橋是清邸」。明治時代から昭和時代初めにかけて国政を担った高橋是清邸の主屋部分で、昭和11年の「2.26事件」の現場にもなったそうです。


 その先を右に曲がれば「伊達家の門」。旧宇和島藩の伊達家が、大正時代に東京に建てた屋敷の表門です。


 小さな水路の手前には「皇居正門石橋飾電燈」。明治20年ころ皇居石橋に6基設置されたもののひとつです。


 この水路を渡れば「東ゾーン」になります。そこには「万世橋交番」。明治時代の建物で正式名称は「須田町派出所」というそうですが、神田の万世橋のたもとにあったことから、こう呼ばれています。

 
 奥の休憩室です。仮眠用の布団と流し台やガスコンロがありました。


 その向かいには「上野消防署望楼上部」。大正14年から昭和45年まで使用され、約23mの高さに設置されていた火の見櫓の頂上部です。


 右の広場には「都電7500系」。昭和37年の製造ですが、都電は交通量の急激な増加に伴い、昭和38年から順次廃止されたそうです。


 さてこの向かいには素晴らしい町並みが再現されています。「下町中通り」と名付けられています。


 まず向かって左から紹介します。「村上精華堂」。昭和3年ころ台東区不忍通りに面して建っていた化粧品屋さんです。大阪人はどうしても店名に「さん」を付けてしまいますね。


 その裏には銅板で覆われた昭和2年建築の「植村邸」と昭和3年建築の乾物屋さん「大和屋本店」が並びます。


 その向こうには昭和5年ころ建てられた「川野商店」という和傘問屋。


 その隣は「小寺醤油店」。蔵が付いています。

 
 中に入ってみましょう。お酒も扱っていたようです。


 古いレジの向こうから蔵につながります。


 次は下町中通りの向かって右側です。手前が「丸二商店」。昭和初期に建てられた荒物屋さんです。その隣が昭和2年に建てられた「花市生花店」。


 通り過ぎて振り返れば生花店に隣接して「武居三省堂」。昭和2年に建てられた文具店です。その隣は蔵風の休憩所でうどんなどの軽食が可能です。


 一番奥には「万徳旅館」。

 
 江戸時代末期から明治時代初期まで青梅街道沿いにあった旅館です。


 内部は昭和25年ころの様子を復元しているそうです。


 そして突き当りには唐破風屋根の「子宝湯」。昭和4年建築の銭湯です。


 壁には富士の絵が。


 憧れの「番台」。


 女湯でーす。こんな時にしか女湯に入れませんからね。


 子宝湯の右隣には「仕立屋」。明治12年建築の町家です。ヤナギの木がいい仕事をしていますね。


 子宝湯の左隣は「鍵屋」。安政3年に建てられた居酒屋で、震災と戦災も免れたそうです。


 内部は、昭和45年ころの姿に復元されています。こんな居酒屋があれば絶対に入っちゃいますね。「熱燗1本」。


 さあ元に戻りましょう。途中右には「天明家」という農家。立派な長屋門をくぐります。

 

 江戸時代、現在の大田区である「鵜ノ木村」で重職を務めた旧家だそうです。


 さらにエントランス広場も越えて「西ゾーン」へ。右には「大川邸」。大正14年、田園調布に建てられた豪邸。


 さすが「田園調布」ですね。


 当時としては珍しく、全室が洋間だそうです。


 その隣は「前川國男邸」。日本近代建築の発展に貢献した建築家の自邸として昭和17年に建てられました。


 続いて「小出邸」。大正14年、当時オランダで流行したデザインと伝統的な和様建築を折衷した造りだそうです。


 その奥には「デ・ラランデ邸」。元は平屋建ての洋館をゲオルグ・デ・ラランデというドイツ人建築家により明治10年ころ3階建てに増築されました。平成11年まで新宿区信濃町にあったそうですよ。


 そしてこの建物は「武蔵野茶房」というカフェとして使用されています。


 内部はこんな感じです。


 この向かいの道は「山の手通り」と名付けられています。通りを挟んで向かいには「三井八郎右衛門邸」。


 昭和27年ころの建築です。畳の間にはベッドと机。


 立派な仏間ですね。


 その隣には「常盤台写真場」。板橋区常盤台に昭和12年に建てられた写真館です。


 2階の写場には、採光用の大きなガラス窓が設けられています。


 この二つの建物奥には「ボンネットバス」が。


 西ゾーンの一番奥には茅葺きの建物が並びます。「綱島家」は、江戸時代中期建築の農家です。

 

 その裏には「八王子千人同心組頭の家」。江戸時代、八王子に配備された徳川家の家臣団の家屋です。いわゆる官舎なのでしょうが、下級役人なので豪農と比べれば質素ですね。


 その奥には「吉野家」。江戸時代後期、現在の三鷹市である野崎村の名主を務めた農家で玄関は式台付です。中では竃に火が入れられ外国人観光客が珍しそうに見ていました。


 座敷も立派ですね。奥座敷には付書院もあるそうです。


 その奥には「奄美の高倉」。江戸時代末期、奄美大島に建てられた高床式倉庫です。同じようなものが八丈島でも見られるそうです。八丈島も東京都ですからね。


 一応、ざっと一巡しました。先に進まなければならないので、残念ですが江戸東京たてもの園を後にします。ビジターセンターの後ろには「展示室」。多摩地方の歴史や風俗などに関するものが展示されています。特別展開催時以外は無料のようです。


 冷房が効いているのでクールダウンを兼ねて最後に見学しました。


 さあ早食いの昼食を終え、引き続き玉川上水を歩きます。今日の夜は銀座で懇親会です。