訪問日:令和7年11月2日(日)
「英田農協前交差点」左に曲がればすぐに「東大阪市立英田中学校」。学校を通り過ぎ、春日公園北東角を右に曲がります。(午後0時58分)

正面に大きな道が見えてきますが、その手前の四つ辻を左に曲がり、その先で大きな道と合流します。この大通りを信号で渡り「艮(うしとら)」という集落に入ります。

右に「ホシツル」の看板。ここは「星鶴醸造」という古くからある造り醤油屋さんなのですが、廃業したのでしょうか。

「西法寺」の前を真っ直ぐ進みます。

西法寺の先を右に曲がり、集落を抜け四つ辻に出れば右へ。左には「北池の端公園」。昔はこの辺りも田んぼでした。

そしてその突き当り。一段高くなったところが「吉田川堤防跡」です。以前にも訪れています。(午後1時8分)

斜面のため宅地化を免れ「奇跡的に残っている」という感じです。今は田んぼ側がかなりかさ上げされていますが、以前はもっと高かったように思います。

そんな歴史あるものとは知らず、私たちは段ボールでそり遊びをしたり、凧あげをすると「生駒颪(おろし)」に乗ってあっという間に空高く舞い上がりました。

貴重な写真を見つけました。吉田川堤防跡の東を走っている道を私たちは「新道」と呼んでいました。そしてその東に田んぼに沿って走る細い道があったのですが、そこで撮った写真です。昭和37~8年ころでしょうか。当時は、遠くに見える恩智川の堤防まで水田が広がっていました。向こうの山が生駒山。写っているのは私と姉。「昭和の子」でしょ。

記憶を頼りにその場所に行ってみました。「ハイチーズ。カシャ」。工場の間から見える生駒山の形からここで間違いないでしょう。この電柱は、当時からこの場所にあったのでしょうか。

この三叉路を北へ真っ直ぐ。「古水走(ふるみずはい)」の集落を抜けます。

住宅の壁が三段に分かれているように、道の東側はすべて下り坂です。宅地化が進み一部途切れますが基本的に花園駅前商店街跡から今も堤防跡の道は続いています。

狭い集落を抜ければ、阪神高速道路東大阪線が走る国道308号線(中央大通り)に出ました。すぐ左の「川中交差点」の信号を渡ります。

ホームセンターを過ぎて右の路地に入ります。何やらこんもりとした森が見えます。

その手前にある「今米公園」。そうここが中甚兵衛の生まれた「河内国河内郡今米村」です。(午後1時26分)

そこに「中甚兵衛顕彰碑」が立っています。

これは長瀬川を歩いた時に説明しましたが、大正3年、河内平野で行われた陸軍大演習に大正天皇が行幸された時、中甚兵衛に「従五位」の位階が贈られたのを記念して建立されたそうです。

今米公園の北側に隣接するこの林は江戸時代から続く庄屋「川中邸屋敷林」で、航空写真でも見える約5000㎡の屋敷林は大阪府下で初めて法に基づく「特別緑地保全地区」に指定されました。

門の奥には立派な茅葺きの屋敷が見えます。

左側の路地を進み、屋敷林北側の門をくぐります。

外観だけであれば見学できるようです(午前9時~午後4時・100円)。実際に住まわれているのでマナーのある見学を。そして団体の場合は事前予約制です。

立派な屋敷は、国の登録有形文化財に登録されています。ここが中甚兵衛の生家とも言われていますが、研究が進むにつれ諸説あるようです。

ただ幕府が大和川の付け替えに当たって、吉田川の氾濫を経験し、脈々と運動を続けていた中甚兵衛を呼び寄せ意見を聞くなど、中甚兵衛が大和川の付け替えに貢献したことには間違いないようですね。さあ次回は「幻の深野池」を経てゴールを目指します。
