野里町歩紀

月1回のペースで大阪近郊の「野」「里」「町」を歩きます。そして合間にちょっと気になったことや世情について思いつくままつぶやきます。ただ論争は好みません。

旧大和川歩紀2~「玉串川」其の四:「幻の深野池」~

訪問日:令和7年11月2日(日)

 さあゴールを目指します。「川中邸屋敷林」から川の蛇行のような道路に出ます。おそらくこの道も堤防跡でしょう。なぜなら共同墓地があります。私の歩紀の経験則では、廃川の旧堤防跡には高い確率で共同墓地があるのです。(午後1時40分)

 

 工場街を抜ければ「水走公園」。この辺りも一面田んぼでした。よくドジョウやザリガニ、カメを捕まえに来ました。ヘビにもよく出会いましたよ。

 

 生駒山が近くに見えます。そうなんです。大阪市内からでは生駒山は遠くの山ですが、私たちは間近に生駒山を見て育ちました。日本最古の飛行塔に吊らされた飛行機も肉眼で見えましたよ。

 

 そして公園北側には市のごみ焼却場。田んぼの真ん中に大きな煙突が2本あったので、私たちは「2本煙突」と呼んでいました。

 

 ゴミ焼却場東側の路地を入れば、午前中に歩いた恩智川の堤防に出ます。川に沿って左岸を北に向かって歩きましょう。おそらく大昔はこの先が深野池だったのではないでしょうか。恩智川も吉田川も深野池に注ぎます。

 

 途中で左に「加納緑地」。入ってみましょう。公衆トイレがあります。(午後1時59分)

 

 公園の中ほどには石の橋が。隣の説明文を読むと「とくさはし」といい、元文2(1737)年ころ恩智川に掛けられたという記録が残るそうです。

 

 その後、明治3(1870)年、木橋から石橋に架け替えられ、今では役目を終え、ここに移設されました。横には一緒に移設されたという石標も立ちます。

 

 緑地を抜け、道路をくぐり堤防に戻ります。恩智川は生駒の清流を集めるので、きれいな水が流れていると思われるかも知れませんが、私が小さい頃は生活排水や工場から出される水が流れ込んでいたので、薬品臭のするドブ川でしたよ。とても水遊びや魚釣りができる川ではありませんでした。今では処理水が流され、大きなコイも泳いでいます。この辺りから大阪府大東市に入っています。

 

 右から川が流れ込んでくれば、先に見える橋で恩智川を渡りましょう。「南新田橋」と言うようです。この辺りも新田が開発されたのでしょう。

 

 橋を渡って少し戻り、駐車場脇から右に見えるUR団地横へ入って行きます。そこには小さな川が流れていました。「南新田ふれあい・せせらぎの径」です。

 

 処理水が流されているのかきれいな水です。河内平野には開発された新田に「井路(いじ)」と呼ばれる水路が縦横に走り、田舟や剣先舟が行き来していましたが、その名残でしょうか。

 

 大通りに出れば信号を渡ってから左に進み「松の鼻橋」で恩智川を渡ります。この辺りから河川敷的なものはなくなり、鉄筋コンクリート製の高い擁壁で囲まれます。

 

 堤防に沿って歩き100mほど進めば左に公園が見えるので入って行きましょう。横には枯れていますが川の跡が残ります。

 

 「御供田公園」。「ごくでん」と読みます。公衆トイレがあります。(午後2時26分)

 

 自治会館前を抜けて左へ。結構古い家が残ります。

 

 安楽寺というお寺を過ぎて右の路地をのぞき込めば「八幡神社」。

 

 お祭りをしているようでしたので参拝は遠慮し、境内の裏口から失礼しました。そこには「恩智川御供田地区調整池」。川の跡を利用した調整池のようです。春はサクラがきれいでしょうね。

 

 そのまま進みJR「学研都市線」のガードをくぐれば、恩智川の高い擁壁に突き当たるので左へ進みましょう。三箇大橋をくぐり二又を左に入れば「住道本通商店街」。

 

 昭和のアーケード商店街です。

 

 100mほどのアーケードを抜ければ右へ曲がります。そこには「住道新橋止水用鉄扉(左岸)」。右岸にも同じものがあります。いくら堤防を高くしても橋の部分は切口になるので、その部分を閉めるための鉄扉です。西淀川区などでも見られました。大東市は「477豪雨」と呼ばれる昭和47年7月の大豪雨で寝屋川が氾濫し、その水害訴訟は最高裁まで争われました。ずっと水害と戦っているのですね。

 

 そのまま進めば左にJR「住道駅(北口)」。ずいぶんきれいになりましたね。(午後2時42分)

 

 駅前に架かる「住道駅前大橋」から東を眺めます。恩智川は左から流れてくる「寝屋川」に合流し、ここで終わります。

 

 この細い橋を進み階段を下れば住吉神社の小さなお社。

 

 寝屋川の高い擁壁に沿って歩きましょう。

 

 府道を越えドンドン進みます。右から川が流れ込んできました。そしてその先に架かる橋は「会所橋」。

 

 右の小さな公園には「深野新田会所と両皇大神社」の説明文と石灯籠が。ここに深野新田の会所があり、明治5年には郷学校が設立され近代公教育が行われたそうです。

 

 奥には両皇大神社の小さなお社が鎮座します。

 

 寝屋川に沿って進み「深野橋」を越え、さらに先の「深北橋」という小さな橋で寝屋川右岸に渡ります。右にちょこっと見える鎮守の森を目指します。

 

 辻を右に入れば「三箇菅原神社」。「三箇」とは元々深野池に浮かぶ島だったそうです。ここは深野池のど真ん中なんですね。(午後3時8分)

 

 今日最後の神社にお参りです。

 

 境内外の枯木の下には「三箇城址」の碑。飯盛城の西を守る支城だったそうです。

 

 神社の前には6連の地車庫。地車が並べば壮観でしょうね。

 

 奥には古い街並みも残るようです。

 

 深北橋で左岸に戻り左に進めば自然と大きな公園に入ります。「深北緑地」。野球場やテニスコート、グランドのほかバーベキュー広場や芝生公園のある大きな緑地公園です。間もなくゴールです。(午後3時17分)

 

 ここは「477豪雨」以降、寝屋川が氾濫した際の一時的な貯水地として造成された治水施設です。その後、平成に入り緑地として整備されました。

 

 そしてかつて河内平野にあった「深野池」の名残ともいわれています。緑地の造成とともに人工的に作られたものですが、今回歩いた旧大和川が流れ込んでいた深野池だと思うと、何か感慨深いものがありますね。

 

 広大な公園を進みます。

 

 バーベキューや自転車遊びなどみんな思い思いに3連休の中日を楽しんでいます。

 

 北東角の出入口にある「河北東町交差点」で「大阪外環状線」である国道170号線を渡り、ゴールに向かいます。

 

 地図を頼りに住宅街を抜ければ本日のゴールJR「四条畷駅」に到着しました。午後3時50分。以前「飯盛山」に登った時のスタート地点。小楠公こと「楠木正行」ゆかりの地です。「四条畷駅」といいますが四條畷市ではなく大東市にあります。そして駅名も「條」ではなく「条」。ここから大阪駅まで京橋駅経由で約25分(320円)。

 

 本日の歩紀「38481歩」(26.16km)。久しぶりの「フル歩紀」。2回に分けて歩いた旧大和川。今日は、ずっとキンモクセイの香りが漂っていました。