訪問日:令和7年11月24日(月)
今回は、「中津川」の説明です。「淀川」は毛馬で「大川」と名を変え、南に流れましたが、一部はそのまま西に流れていました。そして、その川は「中津川」と呼ばれていました。しかし、「中津川」は明治29年、「新淀川」が開削されたことにより埋められてしまったのです。そして「新淀川」が「淀川」となった今。旧中津川こそが「かつての淀川」なのです。
今日のスタートは、阪急「十三駅(西口)」。午前10時20分。今も残る中津川の川筋に向かって、今日も元気に出発です。ここは大阪市淀川区。十三(じゅうそう)と読みます。

駅前のアーケードを抜け、「十三交差点」を渡ってから左に進みます。この道は国道176号線、通称「イナロク」。「新北野交差点」を過ぎ、軽い坂を進めば以前ラブホと並んで、この辺りに「今里屋九兵衛」という茶店がありました。その出店が十三駅西口改札の真ん前にもありましたよ。ラブホ?そう十三は歓楽街ですから。「♪ 十三のねえちゃん~ ♪」

坂を上り切れば、国道176号線が渡る「十三大橋」と、阪急電車3本線(京都・宝塚・神戸)の鉄橋が並びます。あっ、関西では〇〇電車と言うのですが、関東では〇〇線って言うんですね。西武線、東急線のように。

ここは新淀川と呼ばれた放水路。今の淀川です。

堤防の草むらの中に「十三渡し跡」碑。かつて上流から数えて13番目の渡し舟だったことから、このあたりを「十三」と呼ぶようになったと言われます。(午前10時31分)

これから中津川左岸跡を歩くのですが、横の説明文を読むと、ここは右岸の船着場跡だそうです。どうも右岸には左岸の目の前まで広い河川敷があったようですね。今日はこの淀川の北側に飛び出た部分(一部南側)を歩きます。

しばらく堤防の上を西に向かって歩きます。高い堤防から十三の町が見えますが、かつてはこの辺りを中津川が流れていたのでしょう。

この堤防は淀川右岸なのですが、NTTの電信橋をくぐり前方に見える「新十三大橋」の下あたりが、中津川の左岸だったようです。手前の道を右に曲がり、堤防から下ります。

もちろん当時の面影は残っていません。ただ、堤防からひとつ北側の路地に「今里屋九兵衛」の店舗跡がありました。舟待ちの旅人を相手に「十三餅」という焼きあん餅を売っていたそうです。今は閉店したようですね。

そのまま真っ直ぐ進めば「大阪府立北野高等学校」グランドの角に出ます。北野高校は、大阪の府立高校で最も偏差値の高い進学校。多くの著名人を輩出しています。大阪的に最も有名なのは、橋下徹元大阪府知事(大阪市長)でしょうか。中津川は、北野高校と西に隣接する「大阪市立新北野中学校」の敷地内を流れていたようです。中には入れないので、とりあえず北野高校グランドに沿って西へ進みます。

次の四つ角を右へ曲がります。しばらく歩けば新北野中学校の角に出ました。左に曲がりましょう。すぐ左に「成小路神社」。左岸堤防跡の真上に鎮座します。ただ、神社の由緒によると、以前付近には鷺島神社という神社があり、淀川改修とともに川底に沈んだことから、南岸(旧大淀区)にあった富島神社に合祀。昭和の時代に入って、ここに遷座されたそうです。(午前10時50分)

これまで多くの河川跡や街道跡を歩きましたが、そこには大抵、神社仏閣や大木、共同墓地などがありました。ここもそうなんでしょうね。そして「成小路」とは、川底に沈んだ旧村名。村はなくなっても氏神様は残っているということでしょうか。今日一日の安全を祈願します。

新北野中学校の角まで戻り、北野高校との間にある細い道に入ります。この辺りを中津川の左岸が横切っていたようです。

そのすぐ先の歩道から、北野高校の敷地内をのぞき込めば、煉瓦造りの古い壁が見えました。これは、北野高校の前身である旧制北野中学校の西壁跡。

太平洋戦争で米軍の機銃掃射を受けた跡が残ります。生徒2名が「戦死」したそうです。アメリカって学校を機銃掃射するんですね。パイロットは、戦犯にならないのでしょうか。

そのまま真っ直ぐ進めば「淀川通」に出るので交番のある角を左折します。目の前には「十三公園」。

新北野中学校に沿って進み、次の交差点を渡ってから淀川通を横断します。左に進めば、すぐ右に斜めに入る道があるので入って行きましょう。

周辺は碁盤の目状に区画整理されているにもかかわらず、斜めに進むこの道が中津川左岸堤防跡です。

二又を右に入り、川の流れのように左へ蛇行しながら進みます。

良い感じの町中華ですね。

マンションに突き当たるので左に曲がり、次の四つ辻を右折すればJR神戸線のガード。くぐりましょう。(午前11時9分)

ガードをくぐれば西淀川区です。横断歩道はありませんが横断禁止ではなく、歩道のガードレールも開口しているので、左右を確認して阪神高速池田線下の道を渡ります。

左に進み先の辻を右へ。さらに次の四つ辻を左に曲がれば、淀川通の「柏里交差点」に出ました。角には西淀川警察署歌島交番。交番は左岸堤防跡の真上に建ちます。

中央分離帯があるので目の前の歩道橋で淀川通を渡りましょう。次の信号の角には「柏里西公園」。真ん中にこの後、参拝することになる「鼻川神社」の御旅所があります。この真下が左岸堤防跡です。

さらに真っ直ぐ進みます。左の「サンリバー柏里」のアーケードを過ぎ、道が細くなってもひたすら真っ直ぐ進みます。

右に「花川墓地」という共同墓地を過ぎれば「姫島通」に出ます。堤防跡って共同墓地が多いんですよね。

信号で姫島通を渡り、かなり細い道ですが気にすることなく進みましょう。

この細い道が左岸堤防跡なのです。

やがて左に石垣の塀で囲まれた土蔵のある旧家が見えてきました。

その塀に「中津川堤防跡とくろがねもち」と書かれた案内板が。

説明文を読むとこの木は、左岸堤防上に植えられていた木だそうです。

そのまま進めば淀川の堤防に突き当たりますが、右に神社が。午前11時27分、「鼻川神社」に到着しました。「神功皇后」をお祀りする古い神社です。ここで中津川は、明治時代に開削された淀川(新淀川)に飲み込まれてしまいます。次回は、淀川を渡ります。
