先日来、長女が自治会回覧板の文書作成のためわが家を訪れ、元公務員のジイジから指南を受けております。詩や歌、手紙などのように感性や感情ではなく、文書で不特定多数の人に自分の意思を伝えるということは、結構難しいようです。「下手」に出れば無下にされるし、「上から目線」では反感を買う。
単なる「お知らせ」や「お願い」。「連絡」「通知」「依頼」「報告」。自治会の場合、慣習や話し合いで決定されることも多いですが、公文書の場合、法的根拠が必要であったり、その文書自体が根拠となる「達」。たとえ「正論」であっても「予算」が伴わなければ、文書にはなり得ません。それぞれ使う言葉や言い回し、語尾が違います。様式も「規程」で決まっています。その規程自体が文書で定められています。
最近ではIT化によるペーパレスも進み、文書の重みが段々と薄れてきました。しかし、役所にとって文書という紙媒体は非常に重要なのです。文書に書かれていな行為は、し得る根拠がないのです。単なる行政執行機関である出張所などは別として、意思決定機関である本省や本庁というところには、必ず「文書係」という部署があり、入口にも表札が掛かっています。
かつて歴史関係の講義を受けていた際、担当教員が「歴史学や考古学の分野では文書は、【もんじょ】と読みます。時々、役所で文書係という表札を見ると、何だか古を感じます。何かそこには古い巻物でもあるのかと…」とおっしゃっていました。
そうなんです。結構役所というところは「時間が止まって」いたり、「明治や昭和が残って」いるところがあります。「朝礼」「逓送」「営繕」「内翰」。詐欺で一般的になりましたが「還付」等々。学校の「講堂」もそうかも知れませんね。元は仏教施設ですから。そういう環境で42年間以上過ごしました。「お役所仕事」という言葉がありますが、役所とはそういうところなのです。ご理解ください。