大阪城公園の南西角。ちょうど「馬場町交差点」から園内に入ったところに「教育塔」という塔が建っています。「塔」と名付けられていますが、「そびえる」と言うより「建っている」と言う方がふさわしいほど立派な建造物です。かつてここに学校があったとか、何らかの教育が発祥したということで建てられたものではありません。

昭和9年9月21日の朝。大阪を巨大台風が襲いました。高知県の室戸岬付近に上陸したことから「室戸台風」と呼ばれています。そして当時は今のような気象情報システムもなく、また社会インフラも脆弱であったことから死傷者・行方不明者が多数出ました。学校でもこんなに大きな台風が来るとは知らず、登校していた多くの教職員や児童生徒が倒壊した木造校舎の下敷きになるなどして亡くなったそうです。これを機に被災者を追悼し、二度と同じような惨事が起きないようにと、昭和11年10月30日に建てられました。結構歴史のある建造物です。竣工日である10月30日に第一回教育祭が挙行されて以降、毎年10月末の休日に関係者らが集まり、「教育祭」という追悼行事が行われています。

先日、大阪市内に行った時、ちょっと立ち寄ってみました。「3.11東日本大震災」でも学校で多くの教職員、児童生徒が亡くなっています。大阪城公園には何度も訪れていますが、追悼の意を持ってこの塔の前に立ったのは初めてです。

ただ、教育塔にはちょっとした「曰く」があります。教育祭の催行日である10月30日が、「教育勅語」発布の日であることや、祭礼でもない追悼行事が「神道形式」で挙行されていたことなどから、戦後「政教分離に反する」「教員の英霊化」「教育界のヤスクニ」。また軍事機密である気象情報を国民に知らせなかったことが原因など「反戦のシンボル化」に傾いて行ったことです。昭和11年と言えば戦前。まだ日本国が「大日本帝国」と呼ばれていた時代です。当時の時代背景からやむを得ないことだったのでしょうか。ただ教育祭自体は「無宗教式」など方法や言葉(用語)を変え今でも毎年行われています。私は「関係者」ではないので、これ以上のコメントは差し控えます。
