野里町歩紀

月1回のペースで大阪近郊の「野」「里」「町」を歩きます。そして合間にちょっと気になったことや世情について思いつくままつぶやきます。ただ論争は好みません。

旧神崎川左岸を歩く2~「亀岡街道」から「十八条」まで~

訪問日:令和8年1月6日(火)

 街道前から歩道橋の階段を上り内環状線の西側に渡ります。角にはちょっと読みづらいですが「亀岡街道説明板」。

 

 案内板の先を右へ。この細い道が堤防跡です。高低差から堤防であったことが窺えますね。

 

 その先の信号で道がカーブするのですが、向かい側には「亀岡街道」の道標。昭和になって立てられた新しいものです。ここを右に曲がります。(午前10時45分)

 

 道幅はちょっと広がりましたが、クネクネと堤防跡は続きます。

 

 阪急千里線のガードをくぐったところで、堤防跡は住宅街に飲み込まれてしまいました。仕方ありません。左に曲がりましょう。

 

 次の角を右に曲がり、JRに突き当たれば右へ。堤防跡はこの辺りを横切ってJR向こう側の倉庫敷地内を通っていたようです。右のフェンス越しに見えるコンクリートの塀が堤防跡でしょうか。奥に見える現在の神崎川に戻りましょう。

 

 突き当りを右に曲がったところにある階段で「なにわ自転車道」に戻れます。水道橋と2本のJR鉄橋をくぐります。

 

 すぐ先の「新大吹橋」をくぐれば階段があるので堤防上に上がります。倉庫敷地内を通っていた堤防跡は、ここで現在の堤防と合流します。

 

 4~500mほど堤防上を歩き「関西河川スポーツ振興協会艇庫」の前にある水防団倉庫前から府道に下ります。再度、ここで旧堤防は現在の堤防から分かれるのです。(午前11時13分)

 

 すぐにJRの鉄橋をくぐります。赤レンガ壁のものが東海道線。石組とコンクリート壁のものがおおさか東線です。しかし、あの品のない「落書き」何とかならないですかね。

 

 鉄橋をくぐれば淀川区になります。すぐ先にある「大吹橋」前の複雑な分かれ道。現在の神崎川から分かれ、左へ進みましょう。

 

 高層マンション前のクネクネ道が堤防跡です。この辺りもかなり川幅が広かったようです。

 

 大阪市立新東三国小学校を過ぎれば「新御堂筋」通称「新御(しんみ)」が見えてきました。その手前のイオンフードスタイルが入居するマンション前で河川跡は、右斜めに流れ新御の向こう側に出るのですが痕跡はありません。その先の信号で新御を渡ります。(午前11時25分)

 

 右に曲がれば、すぐ左の路地奥に「共同墓地」がありました。堤防跡に間違いないでしょう。共同墓地は、堤防跡の目印です。

 

 新御に沿って歩けば自然と現在の神崎川に突き当たります。左に曲がればすぐ二又に出ますが、神崎川と反対の左へ進みます(十八条大橋につながる連絡橋上から撮影)。

 

 左側にある施設は「十八条下水処理場」。各地でよく見られる、処理プラント上がグランドやテニスコート、周囲が緑地になっている「十八条東公園」。処理場北側のこの公園部分が堤防跡です。この辺りは昔「十八条村」と呼ばれていました。(続く)