訪問日:令和8年1月6日(火)
三国橋は、明治時代以降に架けられたそうです。橋のたもとには「三国の渡し跡」碑。太平記の記事によれば、南北朝時代の正平17(1362)年にはすでに存在していたそうです。(午後0時37分)

三国橋前の坂道を下って行けば、ここは阪急宝塚線「三国駅前」。駅前開発のため堤防跡は、一旦途切れます。

阪急のガードをくぐり、スーパー「KOHYO」の前で国道176号線(通称イナロク)を渡りましょう

かつて神崎川は「三国川」とも呼ばれていたそうです。三国駅前からイナロクの信号を渡った、先が見通せないこのクネクネ道が堤防跡です。

200mほどで右に「新高中央公園」。野球場や公衆トイレがあります。そして堤防跡は、公園と西に隣接する工場の敷地内を横切っていました。(午後0時49分)

仕方ありませんね。公園を通り抜け、公園前のスロープから「なにわ自転車道」に下りましょう。

ここは「緊急用船着場」になっています。大規模災害により道路が寸断された際、ここから船で物資が運ばれます。今は水鳥が羽を休めています。

ただ200mほど歩いて一つ目の階段で、再度堤防上に上がります。そして左右安全を確認し、50mほど左に戻って治水事務所横から右に見える高層住宅方向に進みます。

突き当りを右に曲がった空き地のフェンス沿いの道。これが堤防跡です。

しかし、堤防跡は80mほど先で途絶えるので左に曲がりましょう。すぐにKOHYOからのクネクネ道と合流するので右に曲がります。その先は阪急神戸線「神崎川駅」。

ガードをくぐって右に曲がりましょう。100mほどで神崎川の「神洲(かみす)橋」。その手前には「神洲橋竣工記念碑」という石碑が立ちます。ここで堤防跡と合流です。(午後1時5分)

記念碑の銘文を読めば、当時の村長や村会議員と並んで「洲到止区長」の名前が。川を渡った向かい岸は「洲到止(すどうし)」という字(あざ)で、神津村と洲到止を結んだことから「神洲橋」というそうです。私は、てっきり「しんしゅう橋」と思っていました。

堤防跡は、時々蛇行しながら堤防上の府道を走るのですが、この道は歩道がなくとても危険です。一旦、「なにわ自転車道」に下りましょう。

とりあえず「大豊橋」を目指します。遠くに見えるのは六甲山地。甲山も見えます。

阪神高速空港線が走る「大豊橋」をくぐれば、前方に「毛斯倫(モスリン)大橋」という綺麗な橋が見えてきます。ちょっと謂れがある橋なのですが、この先で堤防跡は神崎川からそれ、さらに「なにわ自転車道」から堤防上に上がる道がありません。仕方ありません。ここで堤防上に上がりましょう。毛斯倫大橋については右岸編で説明します。

今日の「野里町歩紀」です。(続く)
