野里町歩紀

月1回のペースで大阪近郊の「野」「里」「町」を歩きます。そして合間にちょっと気になったことや世情について思いつくままつぶやきます。ただ論争は好みません。

旧神崎川左岸を歩く5~「加島」からゴールを目指す~

訪問日:令和8年1月6日(火)

 堤防上の府道を横断し、次の路地を右に曲がります。「飲み処」の横に鳥居が立ちます。しかしこちらは裏口。

 

 右に曲がってぐるっと回れば「香具波志(かぐはし)神社」。神社には正面からお参りするのが私の流儀です。時々、間違って裏口から入ってしまうこともありますが。(午後1時34分)

 

 「宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)」などをお祀りします。昭和37(1962)年、御鎮座1000年を迎えたという古い神社です。

 

 お参りを終え、神社前を南に進みます。この古いお屋敷は、お米屋さん。以前「大阪24区淀川区編」を歩いた時にも前を通りました。

 

 府道山陽新幹線を越えながら南へ歩きます。そしてJR「加島駅」の横でガードをくぐり右へ。ガードをくぐれば西淀川区です。

 

 JRに沿って100mほど進めば、右に何やら石碑が。(午後1時51分)

 

 「殉職救急隊員慰霊碑」。平成14年11月、線路に入って遊んでいた中学生が列車と接触する事故が発生。救助に当たっていた救急隊員6名のうち2名が後続の列車に轢かれ、1人が重傷1人が殉職されたそうです。「合掌」

 

 そのまま真っ直ぐ進みます。突き当りの金網奥に見えるのはJRが渡る鉄橋。ここで堤防跡と合流しました。

 

 左に曲がります。現在の堤防から1本西に入った、この細い道が堤防跡です。「竹島西公園」前を進みます。

 

 この道は一旦蛇行して、右に見える現在の堤防と交わりますが、すぐに蛇行してこの堤防跡に戻ってきます。興味のない人にとっては何でもない工場街ですが、私は「萌え」ています。

 

 工場街を過ぎれば右に「さくら公園」という大きな公園が見えてきました。公園の向こう側が現在の神崎川です。間もなくゴールです。

 

 現在の堤防と合流しました。

 

 その先には国道2号線が走る「神崎大橋」。赤い鉄扉は、高潮の際に閉鎖される「防潮鉄扉」です。さらに進みます。

 

 神崎川堤防に沿って進みます。ここは旧神崎川の河口。この辺りにも多くの中州があったようです。

 

 阪神電車のガードをくぐります。右の壁画は、某女子学園美術部の作品。「犯罪者」の落書きではありません。

 

 100mほどで右に「千船大橋」。神崎川を渡りましょう。

 

 神崎川はこの先で左門殿川と合流し、中島川と名を変えて大阪湾に注ぎます。神崎川も4つ(神崎・三国・左門殿・中島)の名前を持つんですね。

 

 対岸は「佃」。神崎川と左門殿川の間に挟まれた中州です。徳川家康川西市の多田院に参拝した際、ここの漁民たちが案内したことから家康に取り立てられ江戸へ。江戸・佃発祥の地と言われています。

 

 すぐ目の前には本日のゴール阪神電車千船駅」。時間は、午後2時35分。ここから大阪梅田駅まで約10分(200円)。

 

 本日の歩紀「27371歩」(18.61km)。寝正月後の歩紀でしたが、足は快調です。次回は右岸を上流に向かって歩きます。