野里町歩紀

月1回のペースで大阪近郊の「野」「里」「町」を歩きます。そして合間にちょっと気になったことや世情について思いつくままつぶやきます。ただ論争は好みません。

旧神崎川右岸を歩く1~「杭瀬」から「有馬街道」まで~

訪問日:令和8年2月23日(月)天皇誕生日
出 発:阪神電車「杭瀬駅」
到 着:大阪メトロ「井高野駅」

 前回に続いて明治期のデータに基づき「旧神崎川」。今回は、右岸を上流に向かって歩きます。そして最後は、約1300年前に開削されたという「古」神崎川も訪ねようと思います。兵庫県尼崎市、大阪府豊中市、吹田市、摂津市(一部、大阪市東淀川区)を歩きます。もちろん給水・トイレの心配はありません。


 今日のスタートは、阪神電車「杭瀬駅」。大阪梅田駅から約15分(200円)。前回ゴールの「千船駅」の一つ先なのですが、中州である大阪市西淀川区佃の北側を流れる左門殿川が府県境なので、ここは兵庫県尼崎市。午前9時。今日も元気に出発です。駅名からして川の側という感じですね。

 

 改札口は1ケ所しかありません。改札を出て右へ。細い駅前の道を右に進みます。駅のすぐ向かいには「宮前公園」という大きな公園があります。

 

 宮前公園の先の信号を渡り、阪神電車の高架に沿ってさらに進みます。

 

 向こうに左門殿川のコンクリート堤防が見えるので、その一つ手前の辻を左に入り、すぐ右に曲がります。そこは「梶ケ島住吉神社」。やけに生活臭がしますね。

 

 住吉社なので「海神」をお祀りします。由緒は、神功皇后の新羅遠征までさかのぼるそうです。

 

 今日一日の安全を祈願しましょう。そしてここが堤防跡の真上なのです。

 

 この後、堤防跡は町中に消えるので、神社に向かって右側の路地を進みましょう。突き当りを右に曲がれば「コーナン杭瀬店」。コーナンも堤防跡にたくさんありますね。左へ曲がりましょう。

 

 「左門橋交差点」で国道2号線を渡り、右に消防団器具庫を見ながら進みます。少し歩けば左から道が合流してくるのですが、ここから先が堤防跡になります。

 

 右に「木村化工機」「塩野義製薬」と大きな工場が並びますが、この道が堤防跡なのです。

 

 結構な高低差がありますね。

 

 塩野義製薬を過ぎれば堤防跡は、現在の堤防と合流しました。(午前9時19分)

 

 そして右には何やら石碑が立っています。

 

 平安時代末、ここに平氏の有力者である藤原邦綱の別邸「寺江亭」があったそうです。

 

 河川敷に下りてみましょう。振り返れば、神崎川と左門殿川との分流点。この間の中州が「佃」です。

 

 しばし神崎川に沿って歩きます。河川敷には何やら小動物の糞がたくさん落ちています。ちょっとググってみるとヌートリアという外来動物の糞のようです。

 

 途中からこんな道になります。今は冬枯れしていますが、夏はヘビやヌートリアが出そうで歩けませんね。ヌートリアは大きいもので1mくらいになるネズミの仲間です。

 

 JR福知山線の鉄橋下で車道に出ます。ヌートリアは、性格的にはおとなしいそうですが、嚙まれたり引掻かれると感染症を起こす恐れがあるので、夏は最初から車道を歩いたほうが良いですね。

 

 鉄橋をくぐれば右の河川敷は「柳原緑地」という公園になっているのですが、ちょっと寄り道をするので公園には下りません。(午前9時35分)

 

  車道を進めば「神崎橋西詰交差点」。神崎橋は、太平記にも記されているそうですが、南北朝の戦乱で焼け落ちた後、架橋されることはなく、大正13年になって現在の橋が架けられたそうです。全長300mを越えるこの橋は、人車道橋では神崎川で最長でしょうか。

 

 橋を渡ってから、左の横断歩道を渡ります。角に階段があるので下りましょう。

 

 5~60mほどでひとつ目の辻を左折し、堤防からちょっと外れます。200mほど歩けば、小さな祠がありました。

 

 中のお地蔵さんは「左 尼崎西宮 右 伊丹中山」と刻まれた道標になっています。

 

 左側面には「南無阿弥陀仏」。右には「左 大坂」。この道は「有馬街道」だそうです。

 

 道標を背にして進めば、すぐ左に昭和3年建立の石鳥居が。くぐってみましょう。

 

 「神崎須佐男神社」。阪神間には「須佐男神社」や「素戔嗚神社」がたくさんありますね。

 

 鳥居まで戻りさらに進みます。すぐ左には立派な旧家が。街道らしい風景ですね。(続く)