野里町歩紀

月1回のペースで大阪近郊の「野」「里」「町」を歩きます。そして合間にちょっと気になったことや世情について思いつくままつぶやきます。ただ論争は好みません。

旧神崎川右岸を歩く2~新旧「猪名川に沿って」~

訪問日:令和8年2月23日(月)天皇誕生日

 旧家の前を真っ直ぐ進めば神崎川に突き当たりますが、信号を渡らず左へ。100mほどで左から道が交わってきます。その角には「金毘羅さんの石灯籠」。

 

 説明文を読めば、近くにあった船着場から移設されたもので、かつては高灯篭があり、灯台の役目をしていたそうです。

 

 石灯籠前で横断歩道を渡り、神崎川堤防に出れば「葭島(よしじま)公園」。堤防跡を歩くため公園には下りません。鉄橋は「山陽新幹線」です。(午前9時57分)

 

 新幹線の向こうに猪名川と神崎川との合流地点が見えます。ここが神崎川で最大の幅でしょうか。

 

 新幹線をくぐれば猪名川の右岸。神崎川は猪名川の向こう側なので、しばらくは猪名川に沿って歩くことになります。

 

 猪名川右岸沿いに進んで行けば、その先で左から「藻川」が合流してきます。

 

 合流地点のすぐ先にある「藻川橋」で藻川を渡りましょう。ちょうど合流地点の先っちょが「あおぞら広場」という公園になっています。

 

 合流地点のすぐ前には小さな「島」が。一応、自然の島で「豆島」というそうです。どう見ても虫、野鳥やカメ、カエル、ヘビしか住んでなさそうですね。食物連鎖の縮図でしょうか。頂点に立つのはヌートリアかも知れませんね。

 

 ここも中州になっているんですね。現在地は一番右端です。

 

 あおぞら公園から「戸ノ内橋」で猪名川を渡ります。

 

 橋を渡れば右に曲がり、猪名川左岸に沿って進みます。

 

 先ほど逆光だった豆島が、順光になったのでもう一枚撮りました。

 

 二又に出れば、右の川沿いに進みます。

 

 猪名川は、北摂の大野(おおや)山を源流とし、北摂山系の多くの水を集めながら、神崎川と合流します。豊能町に住む私にとっては結構身近な川です。

 

 新幹線と水位観測所の間を左に曲がります。ちょうどパトカーが曲がってきた道です。

 

 こんなところに「管轄」の境界が。

 

 「???」の方は、こちらをご覧ください。

aruki3.hatenablog.jp

 

 そしてこの何でもない道が旧神崎川の堤防跡です。「萌え」ています。

 

 左に交番が見えてきました。「尼崎東警察署モスリン橋交番」。そう、ここが左岸編でお話しした「毛斯倫(モスリン)大橋」です。「モスリン」とは木綿や羊毛でできた織物のこと。交番前から神崎川まで歩けば…。

 

 大正時代。この辺りには「毛斯倫紡績戸ノ内工場」という大きな紡績工場があったそうです。そして同工場が大阪市との間に連絡橋として作った私設橋。その後、大阪市に移管され何度か改修されたのが、この「毛斯倫大橋」です。橋の向こうは、大阪市淀川区。(午前10時41分)

 

 今、公共施設で「もすりん」の名前が残っているのは、橋と交番とこの公園くらいでしょうか。知らない人が見れば「何?」って思いますよね。

 

 交番前まで戻り右へ。おやおや「共同墓地」が見えてきました。堤防跡に間違いありませんね。

 

 共同墓地を過ぎれば右に「旧猪名川緑地」。入ってみましょう。右に見えるのは旧猪名川。一旦、上流に向かって歩きます。河川敷は、遊歩道として整備されています。

 

 4~500m進めば橋に出ます。これは「椋(くら)橋」。椋橋自体は車道のみなのですが、上・下流側に人道橋が設けられています。これは下流側の人道橋。

 

 堤防上に上り、椋橋を横切ってお地蔵さんの脇から上流側の人道橋を渡りましょう。(続く)