訪問日:令和8年2月23日(月)天皇誕生日
亀岡街道を50mほど歩けば小さな橋に出ました。「高浜小橋」というようです。

橋の下は埋め立てられ「上高浜遊園」という緑道になっていました。

さらに進めば工事中でしたが「高浜橋」というきれいな橋がありました。「斜張橋」というそうです。

橋は「安威川」と合流したばかりの神崎川にかかっていますが、すぐ上流に神崎川と安威川の合流点が見えます。左岸編では、旧堤防跡が、現在の神崎川から外れていたため、遠くから眺めました。

橋は渡らず安威川の右岸に沿って、上流に向かって歩きます。安威川は、京都府亀岡市の山中を源流とします。ここで新たに開削された神崎川と合流するのですが、川幅が狭く、距離が短い神崎川が本流となり、その後「中島川」と名を変え、大阪湾に注ぐのですね。

すぐに右側に「吹田の渡し跡」が現われます。後ろに見えるのは「上高浜橋」。吹田の渡しは室町時代ころにはすでに存在し、橋が架かる明治8年まで利用されていたそうです。(午後2時7分)

この辺りは、
で歩いています。
上高浜橋で安威川を渡りましょう。

橋を渡りマンションの横を抜ければ神崎川に出ます。旧堤防跡の府道には、歩道がないので河川敷に下りましょう。

ここは大阪市東淀川区です。左岸編では向かい岸を歩きましたね。

やがて番田井路を越えるため堤防上に上ります。

水門を越えれば府道。左側に歩道があります。私の歩紀の目的は、川沿いではなく旧堤防跡です。

「江口橋」を過ぎれば、大阪府摂津市に入ります。

淀川との分岐点まで、あと700m。間もなくゴールです。

ここで歩道は途切れます。横断歩道を渡って歩道を進んでも良いですし、この先で開口部があり横断禁止でもないので、まっすぐ草地を進んでも大丈夫です。

ダイキン工業正門の前にある「西一津屋の道標」に到着。ここのすぐ南側が「一津屋樋門」。ここが神崎川右岸歩紀のゴールと言ってもいいでしょう。(午後2時44分)

さて今回は、明治時代に開削された旧神崎川データに基づき堤防跡に沿って歩いたのですが、ここのちょっと北側に約1300年前、桓武天皇の時代に安威川まで開削された神崎川の堤防跡が残ります。訪ねてみましょう。今日歩いたコースが「旧神崎川」なので、区別するため勝手に「古神崎川」と呼びます。

ダイキン工業前の「共同墓地」の間を抜けます。

府道と合流すれば右へ。小さな井路を越えれば左に「共同墓地」が見えます。この右に流れる小さな水路が、どうやら古神崎川の名残のようです。

「別府(べふ)交差点」を横断歩道ではなく歩道橋で越えます。

歩道橋を下り、Uターンしてまっすぐ進みます。新幹線をくぐれば水路(古神崎川)は続きます。「別府水路」と言うそうです。

右にNTTの大きなアンテナがあります。ここにある何となく木が並ぶところ。ここが約1300年前の古神崎川堤防跡です。AIで再現すれば、どんな風景が広がるのでしょうか。(午後2時59分)

この後、水路は蛇行しながら安威川まで町中を流れるのですが、ここで本日のゴールへと向かいます。

この辺りは、
で歩いています。
地図を頼りに住宅街を抜ければ、本日のゴールである大阪メトロ「井高野駅」。午後3時26分に到着です。何でもない交差点に地下への出入口があります。昔、東京に出張した時の「練馬駅」も大根畑の真ん中に駅への出入口がありました。何も目印がないので、こんなド派手な色にしているのでしょうね。ここから「太子橋今市駅」で乗り換え「東梅田駅」まで約25分(290円)。

本日の歩紀「33423歩」(22.72km)。今は完全に町中になっていますが、この大都会の下に眠る「明治」そして1000年以上昔の風景を思い浮かべながら歩いてみました。「歩紀」って楽しいですね。そして申し訳ありません。途中立ち寄った生島商店で、こんなものをゲットしていました。野里町歩紀とは、そんな奴なのです。
