野里町歩紀

月1回のペースで大阪近郊の「野」「里」「町」を歩きます。そして合間にちょっと気になったことや世情について思いつくままつぶやきます。ただ論争は好みません。

中崎界隈から日本一長い商店街

訪問日:平成22年2月20日(土)
出 発:地下鉄「東梅田駅
到 着:地下鉄「南森町駅」


 大阪梅田。難波を中心とした「ミナミ」と並ぶ「キタ」の繁華街。しかし、そこから東に数百メートルしか離れていないところに「中崎町」という空襲を免れた昭和の街並みが残っている。

 お初天神通りをスタートし、中崎町から街並みが続く「浮田」「黒崎町」「浪花町」を経て、日本一長いといわれる「天神橋筋商店街」を大阪天満宮まで歩く。給水・トイレにはまったく困らない。(歩行距離9キロ)


 地下鉄「東梅田駅」を上がったところは「阪急前」という大きな交差点。その南東角に曾根崎警察署という10階建てのマンモス警察署がそびえる。曾根崎警察署の前を東に1分ほど歩けば「お初天神通り」という商店街の入口だ。左の工事中のビルは「梅田花月」跡。かつて近所の喫茶店では吉本芸人の姿も見られたが今はもうない。


 商店街の名となっている「お初天神」。正式には「露天神社」という。ビルの谷間にひっそりと佇む。


 ここは近松門左衛門浄瑠璃曽根崎心中」の舞台で、堂島新地の遊女「お初」と醤油屋の手代「徳兵衛」が恋に落ち、神社の森で心中したという実話を元にしたお話。最近、境内にお初と徳兵衛の像が建てられた。


 お初天神の裏(といっても賑やかな通り)を東に進み新御堂筋をくぐると、ファッションホテルや風俗店など怪しい店が並ぶ歓楽街に出る。歓楽街であるが、ここから東に向かっては昔からの寺町であり、今も多くの寺院が並ぶ。その東端は天神橋筋商店街と交わり、後ほど訪れることとなる。その歓楽街の真ん中に立つのが「高野山真言宗別格本山太融寺」だ。やはりビルの谷間に佇む。


 太融寺の北を走る「扇町通」を渡り「阪急東通商店街」を抜け「網敷天神社」の前を北に進む。神社の前にも「風俗案内所」が・・・


 200メートルほどで「都島通」とJR大阪環状線のガードが交わる信号に出るので渡る。お寺横の一方通行路を入れば、ここはもう中崎町の入口だ。


 すぐに「済美小学校」という既に廃校となった学校前に出る。


 途中、ちょっと狭い路地を右に入ると「白龍大神」という小さな祠が建つ。


 元に戻り進むと古い街並みが現れる。


 私は建築に関する詳しい知識はないが、昭和初期頃よく建てられた建築方式らしい。郊外や大阪市内でも中心部を外れるとポツンポツンと目にするが、中心部で街並みが残っているのは、こことやや規模は小さいが「谷町界隈」くらいだろうか。


 しばらくすると四つ角に出るが、ここはすべての角に町家が残る。


 いくつかは若い女性向けの店舗に改装されている。


 四つ角の北側にも街並みが続く。


 路地からは梅田方面の高層ビルが見える。


 まだまだ街並みは続く。


 懐かしい感じのお好み焼き屋さん。よく下町という言葉を聞くが、私は下町とは東京の山の手に対する町のことで東京以外に下町はないと思っている。下町を「庶民的な」という意味で使うなら、ここは下町情緒一杯だ。


 おそらくお地蔵さんの方が先住民なのだろう。


 都島通のちょうど地下鉄「中崎町駅」を上がったところから「真宗仏光寺派浄方寺」という寺の方向を望む。古いミシンの看板が良い雰囲気を出している。


 寺を抜けると前方に「韓国民団」の大きな建物が目に入る。その前に「ひがし茶屋町西向不動尊と」いうのが建っているが、十数年前に来たときにはなかったように思う。石の状態からしても新しく建てられたものだろう。


 中崎町を後に「浮田」方向へ進む。効きそうな「あんま・はり」。


 文化住宅と呼ばれる共用の出入口を持つ集合住宅。鍵がないだけで要はオートロックマンションの原型だ。


 入口の表示から現役のゴム会社の様だ。


 この町家は飲食店や塾として再利用されている。


 当時の住居表示板が残る。


 ここら辺りからは「黒崎町」「浮田」「浪花町」の街並みを縫う。古い酒屋さん。


 散髪屋さんの「クルクル」。道の真ん中では猫が毛繕い。


 やはり「先住民」か?


 この辺りは「ゆのし」をしているお宅が多い。


 ここにも昔の住居表示が。


 何か懐かしい感じの食堂。今度「シチューうどん」を食べてみよう。


 地図では酒屋だったが、今は店を閉じているようだ。


 町家風カフェとして再利用されている。


 都島通の角に立つ「旧北天満小学校」。この周辺の小学校は、いわゆるドーナツ化現象のため統廃合されている。


 都島通を右折すると天神橋筋6丁目交差に出る。大阪では「天六交差」で通っている。その天神橋筋の一本東を南北に走るのが「日本一長い商店街」といわれる「天神橋筋商店街」だ。商店街は天神橋7丁目から1丁目まで7つのブロックに分かれ全長2.4キロに及ぶがアーケードがあるのは6丁目から1丁目の途中までの約1.8キロだ。天七商店街から天六商店街のアーケード入口を望む。なお、すぐ隣には「大阪くらしの今昔館」という昔の大阪の町を再現した施設(有料)があるので興味がある方はどうぞ。


 天六商店街は、飲食店のほか日用品や雑貨を取り扱う店が多い。


 天五から天四(「てんし」と呼ぶ)にかけては、真ん中にJR大阪環状線の「天満駅」があるためか飲食店やパチンコ屋、ちょっと怪しい店などが並ぶ。ガード下にもお店が続く。


 天三の入口は、かつて「夫婦橋」という橋が架かっていたようで石造りの欄干が残る。


 天三あたりから大阪天満宮に近づくためか、遠方からのお客さんを意識した店が目立ち始める。


 天三商店街の中ほどに昔ながらの豆腐屋さんがあり、その角から東西に走る道が「お初天神」から続く寺町の東端近くだ。


 ちょっと東に道をそれ寺町を歩く。「緒方洪庵」の墓所はここだったんだ。


 引き返し天三商店街に戻る。この刃物屋さんを過ぎれば天二。


 曾根崎通から見る天二のアーケード。天神祭の「お迎え人形」というらしい。


 やはり大阪。粉モン屋さんも多い。


 すぐ左は「大阪天満宮」だ。お土産屋さんなどが目立ち始める。


 天満宮は「学問の神様」。パン屋さんにはこんなパンが。


 このようなお店も。


 天一の途中でアーケードは切れ、天神橋筋と交差したところで「日本一」は終わる。


 左に曲がり一つ目の角を左へ。「大阪天満宮」の表門が見えるのでお参りに向かう。


 表門の前から右(東)の方向を見ると「相生楼」という古い料亭が見える。ここに「川端康成生誕之地」の碑がある。明治32年、川端康成はここで生まれたが、間もなく両親を亡くし3歳から大阪府茨木市で育っている。川端康成については「文豪のふるさと茨木」で触れる。


 大阪天満宮は、天暦3年(949年)菅原道真を祀って建立された神社で、社殿は弘化2年(1845年)に再建されたそうだ。ここの祭り「天神祭」は、「祇園祭」「神田祭」とともに日本三大祭の一つに数えられている。


 ちょうど梅のシーズン。天神さんといえば「梅」だ。ただ、大阪天満宮は京都の北野天満宮や東京の亀戸天満宮のような大きな梅林はなく、小さな梅の植え込みがあるくらいだ。そのためか屋内で「盆梅展」が開催されていた。


 お参りを終え北門から外へ出る。そこには上方落語を後世に残すため建てられた「天満天神繁昌亭」という寄席小屋が建つ。


 天満宮に梅林はないが、繁昌亭を過ぎたところにある「星合の池」という小さな池の畔には茶店があり、小さな梅林がある。このすぐ北側は曾根崎通。地下にはJR東西線の「大阪天満宮駅」と地下鉄谷町線堺筋線の「南森町駅」がある。本日の「歩紀」3時間。