野里町歩紀

月1回のペースで大阪近郊の「野」「里」「町」を歩きます。そして合間にちょっと気になったことや世情について思いつくままつぶやきます。ただ論争は好みません。

文豪のふるさと「茨木」

訪問日:平成22年12月18日(土)
出 発:大阪モノレール豊川駅
到 着:阪急電車茨木市駅


 ノーベル文学賞受賞作家川端康成は、大阪市北区で生まれたが、幼くして両親を亡くしたことから祖父母とともに現在の大阪府茨木市に移り、旧制茨木中学を卒業する18歳までをここで育った。その後、東京帝国大学(現東京大学)に進み「伊豆の踊子」「雪国」などの名作を生む。文豪を育んだ茨木には川端康成の多くの足跡が残る。

 明治39年、島下郡と島上郡が合併して三島郡が誕生。現在の茨木市は旧島下郡にあたる。川端康成の旧宅のある茨木市宿久庄から旧三島郡の古い街並みが残る郡地区を経て茨木市の中心部に向かって歩く。平坦な舗装道と市街地を歩くので給水、トイレには困らない。(歩行距離16キロ)


 茨木市北部は深い山間部である。南部の淀川右岸に沿って平野・丘陵地帯が広がるが、最近、丘陵部に国際文化公園都市・愛称「彩都」というニュータウンが開発された。それに伴い平成19年、大阪空港駅門真市駅間を走る大阪モノレール万博記念公園駅から彩都西駅まで彩都線が延伸された。万博記念公園駅から2つ目の「豊川駅」をスタートする。千里中央駅から15分(320円)。


駅北側の国道171号線を渡る。丘陵部には、まだ鎮守の森や古い街並み・集落が残る。そんな中に「清水春日神社」がある。


 約1100年前、清和上皇が訪れ観月の宴を催した際、村人が神社前の「山の井」という井戸の水に桃の花を飾って歓待したことから、以来、山の井を「月の清水」「桃の井」と呼び鳥居横に碑が立つ。参拝しようと境内に入るが社殿がない。後日、ネットで調べると平成22年8月、火災により全焼したらしい。


 東に進みモノレールの高架をくぐる。水田越しに見えるのは茨木市立豊川小学校。かつて文豪が通った「旧制豊川尋常高等小学校」だ。


 学校のすぐ前に「新屋坐天照御魂神社」があり境内は児童公園になっている。文豪もここで遊んだのだろうか。


 山沿いを東に進む。道路の真ん中に立つ鳥居をくぐって進むと「須久久神社」に出る。


 さらに山沿いに進み私立女子大の前を抜けると古い街並みに出る。茨木市宿久庄の集落だ。


 この板塀の旧家を過ぎ左に折れると民家の前に「川端康成先生旧跡」の碑が立つ。明治38年6月、大阪市で生まれ相次いで両親を亡くした川端康成は、3歳のころから祖父母とともに三島郡豊川村宿久庄のこの家で育った。今は、川端姓だが別の方が住んでいるらしい。(川端康成の生家については「中崎界隈から日本一長い商店街」でも触れる)


 地蔵越しに「川端康成旧跡」を望む。


 旧跡から村を抜け国道171号線方向に向かう。国道沿いには小さな森が見える。これまで何度かマイカーで国道を通った際、気になっていた森だ。


 やはり鎮守の森だった。「道祖神社」。周辺が都市化しようとも、この森は永久に残るだろう。


 神社から南の方向を望むと何やら古い家が並ぶ。「西国街道」の街並みだ。


 街道に入って左折。すぐ右側に神社への入口が見える。「豊川春日神社」。大きな神社だ。


 茨木市内には9つの春日神社があるという。そのうちの一つだが周辺はゴルフ場や宅地と開発が進む中、神域だけはしっかりと緑が守られている。


 西国街道を歩く。


 古い街並みが続く。


 道標も残る。


 突然、現れた立派な屋敷。江戸時代、参勤交代の大名らが宿泊・休憩した宿駅「椿本陣(郡山宿本陣)」だ。


 本陣を過ぎれば街道は郡の集落に入る。


 ここらも古い街並みが残る。


 しかし、押し寄せる宅地化。「郡神社」の鳥居もすっかり家に囲まれてしまっている。後ろの山が鎮守の森。


 何とか神域は緑の森で守られている。神社をなくしてはならない。天児屋根命を祀る。


 郡の集落を歩く。


 最近「コミュニティセンター」などと言う言葉をよく聞くが公民館でいい。


 名神高速の茨木インターを右に見ながら国道171号線を渡り「茨木川」の堤防を東に歩く。


 途中でもう一度国道171号線を渡り川沿いに進むと右に緑道の入口が現れる。昭和24年に廃川になった元茨木川の緑道だ。南に向かって歩く。


 緑道に沿った道は川端康成に因み「川端通り」と名付けられている。


 通りの途中にあった「天満宮」に立ち寄る。


 さらに緑道を進むと右側に茶色の建物が見える。川端文学の紹介や氏の遺品などを展示するため昭和60年に開館した川端康成文学館だ。(入場無料)


 川端康成文学館を過ぎ、かつての川の名残である「丹波橋」の銘板が残る欄干横の路地を東に折れ茨木の町に入る。


 茨木市は、1330年代、楠木正成が築城。その後、茨木氏や片桐氏の居城となった茨木城の城下町。


 寺院や古い街並みが今も残る。


 茨木城の本丸は茨木市立茨木小学校になっており、校門横には茨木城櫓門が復元されている。


 浄土宗梅林寺。


 寺を抜け府道に出て右に曲がると市役所や消防署、裁判所などが並ぶ官庁街となるが、その手前に茨木神社がある。


 素戔嗚尊誉田別命応神天皇)のほか天児屋根命を祀る。天児屋根命とは「古事記」によると天の岩戸で天照大神が岩戸を少し開いた瞬間、鏡をかざし大神を外に引き出すのに一役買った神様だ。神社の東門は茨木城の門を移築したものだという。


 神社を出て右側の元茨木川に架かる高橋の欄干には「茨木童子」の像が。茨木童子とは、床屋に拾われた捨て子が剃刀で客の顔を誤って切ったことから血の味を覚え、ある日、川面に映る自分の姿を見て鬼の形相であったことから大江山酒呑童子の配下になったという民話の主人公だ。おどろおどろしい話だがかわいらしいキャラクターに仕上げられている。


 元茨木川沿いの緑道をさらに進むと学校のグランドに出る。途中で川沿いから反れ学校の正門へと向かう。大阪府立茨木高等学校。かつて文豪が通った「旧制茨木中学校」である。茨木高校は今でも有数の進学校として有名だ。


 茨木高校裏門前に石灯籠や地蔵の祠が立つ一角がある。ここは茨木童子が自分の顔を川面に映したという茨木童子貌見橋の跡だと言われている。


 川端康成は茨木中学時代に祖父母を亡くしたことから中学の寄宿舎で暮らすが、当時、川端康成がよく通ったと言われる書店が今も残る。


 堀廣旭堂。店舗は新しくなったが店の前に当時の銘板が飾られている。


 大手町という地名が城下町であったことを伝える。


 川端康成がよく通ったもう一つの書店「虎谷誠々堂書店」。今は、書店の本社機能を残し歯医者やコンビニが入るビルになっていた。ビルの壁に当時の銘板が残る。


 書店跡から阪急茨木駅方向に向かうと大きなお寺が現れる。茨木市内最大の木造建築物「真宗大谷派茨木別院」(茨木御坊)の本堂だ。川端康成らがなくなった恩師の葬儀をいとなんだと伝えられる。


 駅には向かわず駅前をしばらく散策することとした。


 茨木川から引かれた疎水も流れ、なかなか良い雰囲気だ。


 古い街並みを楽しみながら駅に向かう。


 本日のゴール阪急京都線茨木市駅」に向かう。駅に直結する商業ビルを通り抜けるとそこには何と新しくなった「虎谷書店」が。下調べではまったく把握していなかった。気のせいだろうか、昭和47年、神奈川県逗子市でガス自殺をした文豪の後ろ姿が見えたような気がした。本日の「歩紀」4時間10分。