訪問日:平成24年9月29日(土)
出 発:阪急バス「白島北」
到 着:北大阪急行「緑地公園駅」
摂津國豊島郡(豊嶋とも)。「とよしま」ではなく「てしま」と呼ぶ(ただし一部「とよしま」と呼ぶ地域もある)。現在の大阪府豊中市、箕面市、池田市のほぼ全域と吹田市の一部(旧豊津村)から成る。明治29年、隣の「能勢郡」と合併し、それぞれの頭文字をとって「豊能郡」となるが「豊島郡」にあたる地域は全て市制化され、現在の「豊能郡」は、かつての「能勢郡」である能勢町と豊能町だけとなり「豊島郡」は消滅した。「てしま野」の名残、面影を求め、箕面市から豊中市を歩く。
最初の「水神社」を除き、概ね緩やかな下り坂の市街地を歩く。給水・トイレには困らない。(歩行距離30キロ)
阪急バス「白島北」停留所。今日はここをスタート地点とする。千里中央から阪急バスで約12~3分(210円)。バス停は、大きな老人福祉施設の前で便数も比較的多い。(行き先によって若干、バス停の場所が変わるので要確認)
バスを降りて東に歩き、老人福祉施設を越えた白島東交差で左(山手)に入る。しばらく歩くと「五藤池」「新薩摩池」「薩摩池」と大きな池が3つ並ぶ(写真は薩摩池)。
池の裏手に「白姫大明神」という神社がある。しかし、境内に社はない。
脇にある山道へ進む。完全な「登山」だ。
しかし、約3分ほどで山中の「水神社」に着く。大正時代の干ばつ期、雨乞いのため建てられたという比較的新しい神社であるらしい。今日一日の無事を祈願してお参りをする。
元の道を戻り、最初に曲がった白島東交差点を直進。白島の集落に入る。箕面山中に源を発する唐子川の清流は、山を出たところで「薩摩池」「新薩摩池」の水と交わり「千里川」と名を変え「てしま野」を流れる。
箕面市白島(はくしま)の集落。新しい家やマンションも見られるが、比較的古い街並みや田畑も残る。

集落内にある浄土真宗本願寺派阿弥陀寺。
西に進み一旦新御堂筋に出た後、箕面トンネルの出入口にあたる白島2丁目交差で新御堂筋を渡り、坊島(ぼうしま)の集落へと向かう。
300メートルほど進んだところで左折。集落内に入る。
路地を右折したところに浄土宗浄国寺。

寺を出て更に西に進むと箕面山中から流れ出た箕面鍋田川という小さな川に出る。そこから川沿いに下ると目の前に東西360メートル南北330メートルほどの広大な水田地帯がポッカリと開ける。
豊かに実った稲穂と彼岸花が美しい。
緩やかな棚田となって広がる。
そのまま坂道を下って行くと「曲り池」というため池に出るので左折。写真は、曲が池手前に佇む五輪塔らしき石塔。
保育所の前を通り消防団倉庫のある四つ辻を右折する。角には何やら道標が。
3~4分で大きな道路に出る。かつての西国街道で現在の国道171号線だ。国道沿いに立つバス停の看板を見ると「萱野三平前」。「萱野三平」?そう、あの忠臣蔵で有名な萱野三平だ。討ち入りを決したが、仕官した大島家と吉良家がつながりの深い家柄であったため忠義と父への孝行の板挟みになり自害した。
国道171号線を渡り、「萱野」の集落へ。道は舗装されているが、なかなか良い雰囲気だ。昔の「てしま野」の家並みは、このような風景だったのだろう。

すぐに善福寺の白壁に出るので左折。
浄土真宗本願寺派善福寺。

その南側に見える白壁の建物が萱野三平邸だ。
萱野三平は、ここで生まれ、そしてここで自害した。萱野三平が切腹したという長屋門跡が復元されている。

庭には辞世の句
「晴れゆくや 日ごろ心の 花曇り」
が刻まれた石碑が立つ。
また、俳人でもあった萱野三平の俳号に因んだ「涓泉亭」という建物が立つ。
ここは、箕面市が管理する「萱野三平記念館」という施設で、午前10時から午後5時まで無料公開されている(月曜日休館)。
萱野三平邸の塀に沿って一周。
浄圓寺の石垣が見えてくる。
浄土真宗本願寺派浄圓寺。
ここら辺りは、昔「芝」という集落だった。
しばらく萱野の集落を歩く。

200メートルほどで左に水田が開けて来るので道を左にそれて田の中に入る。
ここにも萱野の集落を囲むように千里川に沿って、縦約670メートル幅約330メートルほどの広大な水田が開ける。大阪のベッドタウンとして開け、宅地化が進む「てしま野」でこれだけのまとまった水田が残るのは、先ほど訪れた「坊島」とここぐらいだろう。
地蔵様越しに美しい黄金田を望む。
すぐ上にかかる橋に行きたいのだが道がないので、千里川に沿って少し下流に歩き、不二橋という橋で千里川を渡り上流に戻ると先ほどの橋に出る。ここからしばらく住宅街の緩やかな上り坂を歩く。
10分ほど歩くと「豊島高等学校前」という三叉路に突き当たる。隣接する豊中市や以前『織姫伝説のまち「池田」』で歩いた池田市には、今も多くの「豊島」という地名や「豊島」を冠した施設が残るが、箕面市で「豊島」が文字で残るのは、ここぐらいだろうか。
一旦、道を右にまわって住宅地を迂回し、豊島高校の正門に向かう。
「大阪府立豊島高等学校」。以前「西国街道を山崎から高槻へ」で訪れた「府立島上高校」が統廃合により「槻の木高校」と代わり「島上」の名がひとつ消えたと記したが、この「豊島」も消えることなくいつまでも残して欲しい。高校の敷地内に箕面市と豊中市の市境が走り、先ほどの「豊島高等学校前」交差は箕面市であるが正門は豊中市になる。これより豊中市を歩く。
千里ニュータウンから続く「千里緑地」。
このグリーンベルトと高級住宅街との間の道路を進む。
老人福祉施設が見えれば右折し、ダウン・アップを過ぎると「緑丘3丁目」という交差点に出るが、何やら線香の香が漂う。高級住宅街の真ん中に「豊中不動寺」が。
水掛け不動さん。
ここの不動さんは、交通安全祈願で有名な「香里成田山」と縁のあるお不動さんということで、北摂方面では、ここのお札を貼った車を良く見かける。
豊中不動寺を出て左に進み、三叉路を左折すると歩道橋がある。この歩道橋で大阪の大動脈「大阪中央環状線」とそれに併走する「中国自動車道」を一気に越えよう。上には「大阪モノレール」が走る。
千里丘陵から眺める大阪平野。かなりの高度差があるのがわかる。
かつての「てしま野」は、大阪から交通の便が良く、また高台ということから高級住宅街として発展してきた。そのため古の「てしま野」の面影も失われている。邸宅街を進む。
昔、池を配した公園のある高級住宅街にマイホームを持つことに憧れた(様な気がする)。
しかし、しばらく歩くと古いお米屋さんが。
そして、府立豊中高校の正門に突き当たり、左折して下り坂を道なりに進んでいくと、何やら入りたくなるようの食堂が。午後12時45分。
「定食600円」の古びた看板に誘われるように店に入る。ご夫婦で切り盛りする、いわゆる「めし屋さん」。店主の「おっちゃん」と常連と思われお客さんとの間で大いに盛り上がっていた。私は、定食ではなく「親子丼(550円)」で昼食をとった。
店を出て引き続き坂道を下って行くと、右に緑豊かな公園が見えてくる。稲荷山公園という都市公園だ。
その奥に「豊中稲荷神社」が鎮座する。ここは、かつて新免宮山古墳群と呼ばれ、この辺に「稲荷山古墳」という古墳があったらしい。
神社を出て、神社前のスーパー裏にある路地へと進む。昔、行基が開いた金寺という禅寺の支院「黄檗宗金禅寺」の山門が現れる。
兵火で焼失したらしく、今は小さなお堂が残るのみであるが、本堂前の石造三重宝篋印塔は、笠が三重になった珍しい形で、国の重要文化財に指定されている。
何の変哲もない住宅街を地図を頼りに進んでいくと大きな公園に出る。大曽池という灌漑地を埋め立てた「大曽公園」。子どもたちが野球を楽しんでいたが、ここは大雨の際、洪水調整池としての役割を果たすという。
そのまま南下し、府立桜塚高校の横をさらに進んでいくと、小さな児童公園に出る。その後ろにも何やら古墳のような丘が見える。
大塚古墳という直径約56メートルの円墳で、復元され公園となっている。
そのすぐ南側にも小高い丘が見える。「御獅子塚古墳」。フェンスで囲まれ草が生い茂っていたが、全長約50メートルの前方後円墳が復元されている。
今歩いてきた道は「はにわロード」と呼ばれている。復元された墳丘には、雑草に覆われているが「はにわ」が並んでいた。
御獅子塚古墳のすぐ南にある豊中警察署を挟んで、一里塚のような木立が見える。
これは「南天平塚古墳」。実は、この辺りは「桜塚古墳群」と呼ばれ4~6世紀に造られた古墳が44基発見されたとか。そのうち5基だけが残っており、うち3基がここに復元・保存されている。
南天平塚古墳北側の道を西に下っていく。南桜塚交差点を渡ったところに古い和菓子屋さんが残る。
そこから路地に入る。趣のある建物が残る。古いクリーニング店(大阪では「洗濯屋さん」)。現役のようだ。
「昭和」を感じさせる銭湯(大阪では「お風呂屋さん」)。
住宅街の中を地図を頼りに進んでいくと「曹洞宗東光院」という寺に出る。
境内には萩の木が多く「萩の寺」と呼ばれる。
普段は入山料200円。萩の開花期には500円。私は「歩紀」なので、あまり拝観料や入館料を支払って寺院や博物館に入ることはないが、萩まつりをしているということで入山料を払って境内に入る。
境内は、ちょうど萩の花が満開だった。
お寺南側の萩の寺公園「延命橋」を渡る。すぐに阪急の高架に出るので、高架をくぐり左へ。阪急曽根駅に出れば駅前商店街を右に進む。商店街が終わり、道が狭くなったところに「原田しろあと館」の案内板があるので進んでいくと「原田城跡」に出る。石垣の前に案内板が立つ。
「原田城」。戦国時代の城跡であるが、その後、住友化学工業の役員、羽室氏の邸宅となった。城門も一般住宅の玄関門になっている。
現在、邸宅は国登録重要文化財「旧羽室家住宅」として豊中市が管理し、土・日曜日の正午から午後3時30分に限り無料公開されている。
原田城の土塁跡が邸宅庭園の築山として残る。
城跡を出て右の坂道を下る。小さな水路を渡り、一つ目の四つ辻を右に曲がると小学校に突き当たる。左に曲がり住宅街を抜け、高速道路をくぐれば街並みが「町工場街」と変わる。先に見える土手を上れば川に出る。今日、一番最初に訪れた「千里川」の最下流だ。

橋を渡らず左に曲がり土手を進む。ここは、大阪国際空港の南端に位置し、ちょうど着陸コースの真下にあたる。着陸直前の大型機が轟音を立て頭上すれすれに通り抜けることから、飛行機ファンや子ども連れ、アベックなどの姿も多く見られる。
そのまま南に進み原田大橋を越えてさらに川沿いに進む。150メートルほどで道は堤防から外れるが、そのまま右の土手沿いに進む。200メートルほどで「てしま野」を潤した千里川が猪名川と合流する。その後、神崎川と交わり大阪湾へと注ぐ。(上が猪名川)
合流地点を過ぎれば左に階段があるので土手から下る。この辺りには、わずかだが工場の間に水田が残る。
工場街特有の薬品や油の臭いが漂う中を抜ける。ここらは飛行機の着陸コースにあたるのか、多くの飛行機が低空を飛行する。
公園に突き当たり右に曲がれば古い街並みに入る。利倉の集落だ。「利倉」と書いて「とくら」と読む。
集落を東に進むと小さな水路に出る。「新豊島川親水緑道」。今では下水処理水ではあるが清流が流れ、ホタルの飼育なども行われている。
水路を過ぎれば、すぐ左に大きな神社が見える。春日神社だ。
ここは境内も立派だが、大きな鎮守の森が守られている。阪神高速道路空港線のすぐ横なので、ご存じの方も多いだろう。
先ほどくぐった高速道路を再度くぐり東へと進む。ここらは飛行機着陸コース真下の住宅密集地化を避けるためか、国土交通省管理の空き地が多く、それなりに多くの緑を提供している(現在は民営化され新関西空港株式会社の管理になっている)。
そのまま進み私立高校前を過ぎると右手に大きな建物群が見えてくる。豊中市営のスポーツ公園で体育館や武道館などが並ぶ。体育館名は「豊島体育館」。
体育館前の親水遊歩道を北に進む。
突き当たりに「てしま幼稚園」と「豊島北小学校」が並ぶ。最近、学校や幼稚園の近くで写真撮影していると「不審者」として通報されるので気をつかう。世知辛い(嫌な)世の中になったもんだ。

水路に沿って東へ進むと左手に大きな公園が見えてくる。
豊島公園。
テニスコートやバラ園、噴水。ナイター設備のある本格的な球場などがある。ここらには「豊島」が集中している。
公園を出て東に進むと阪急の高架に出るので右に進む。すぐに高架は平地に移り阪急宝塚線服部駅に出る。駅舎後ろの大木に注目。
梅田行きホームのど真ん中に大きな木がそびえる。幹には神棚が。ここ服部駅は、この後訪れる「服部天神宮」の境内に建てられたため、ご神木のクスノキが駅舎内にそのまま残されているのだ。
反対の宝塚行きホームからの眺め。ホームの屋根を突き抜けている。このような例は、京阪電車「萱島駅」にも見られる。
各駅停車の小さな駅だが、結構駅前は飲食店などで賑やかだ。踏切を渡る。 
商店街を過ぎたところに服部天神宮の鳥居が立つ。
天神様なので菅原道真公を祀る。かつて菅原道真が太宰府に流された際、足がむくんだことからここで祈願したところ平癒したということから「足の神様」としても有名だ。そのためJリーガーや陸上選手らの信仰も厚い。私もいつまでも「歩紀」ができるようにと祈願した。
境内から裏に出ると国道176号線だ。この辺りから小雨がポツポツと降ってきた。先を急ごう。すぐ北側の服部本町交差を渡り東に進み、一つ目の辻を右に上がると神社が見えてくるので正面にまわる。「住吉神社」。能舞台などもある立派な神社だ。春は桜が美しい。ちょっと雨が強くなってきた。
神社を出て左に曲がると高い土手に上がる道があるので上る。「天竺川」の堤防に出る。松並木が美しいが、完全な「天井川」になっている。
すぐ南側に「松林寺橋」という人道橋があるので左岸に渡る。すぐに堤防から下りる道があるので下る。このあたりにも所々に水田が残る。
住宅街を真っ直ぐ東に進む。ここらは「小曽根」という地域だ。もう閉店しているのだろうか、懐かしい感じの理髪店(大阪では「散髪屋さん」)。
この集落には南北に3つの浄土真宗本願寺派の寺院が並ぶ。
一つ目の寺院「常光寺」。
続いて「養照寺」。
最後に「西福寺」。
西福寺から東に進み突き当たりを左に曲がれば地蔵堂が立つ。そこを右折する。
すぐに堤防に上る急な坂が現れるので上ろう。
先ほどの「天竺川」と並行して流れる「高川」。この川も完全な「天井川」になっている。この川が豊中市と吹田市の境界となっている。ただ、吹田市の旧豊津村であり、かつての豊島郡だ。
右岸を北に向かって歩く。この日は工事中であったが、工事現場横の脇道から下に下りて見る。「高川」は、極端な天井川であるため、この地点では「川底」の下を府道がくぐっている。(写真で橋に見えるのは「高川」の流れ)
堤防に戻る。この川も松並木が美しい。
しばらくして前方に「服部緑地」の緑が見えてくる。その手前にも水田が残る。
服部緑地の緑の途中、右に「観音寺」への誘い。階段を登る。
1~2分ほど観音さんに達する。無人の小さなお堂が建つ。
観音さんを下りて緑地を右に見ながら歩く。左手の自動車教習所を過ぎ路地を左に入る。地蔵さんの横に公民館。その横に消防団庫。消防団庫は、日本の原風景に欠かせないが、阪神大震災以降、消防団は地域防災の拠点として公民館とともに近代的な建物に変わっていく。豊中市は阪神大震災で大きな被害を受けた。仕方ないことだ。それだけにこんな懐かしい消防団庫に出会うと嬉しくなる。
ここは若竹町という集落。消防団庫から真っ直ぐ進み、右に旧家の大門が見えると、門に向かって右折する。
屋敷に突き当たり右折すると「黒永龍王大神」という小さな社がある。服部緑地の池を背に「龍」という名が冠されていることから水の神様なのだろう。
村のたばこ屋さん。もう店は閉じているのだろう。
若竹の集落を過ぎると服部緑地に出る。

いくつかの池を中心に大阪のオアシスとして造られた広大な緑地公園。

テニスコートやサッカー場、プールのほか8コース400メートル全天候型トラックの本格的な陸上競技場などのスポーツ施設。

その他、直径150メートルの円形大花壇やバーベキュー広場、乗馬センターなどのほか、合掌造りなど日本の伝統的家屋を集めた日本民家集落博物館(午前9時30分~午後5時、月曜日休み、入館料500円、博物館というが屋外施設)などがある。
緑地を一巡し、東中央広場に出る。

300メートルほどの緑道を抜けると北大阪急行「緑地公園」駅に出る。

北大阪急行は、地下鉄御堂筋線が乗り入れており、梅田駅まで約15分310円。本日の「歩紀」7時間30分。