訪問日:平成23年9月24日(土)
出 発:金剛バス「大ケ塚」
到 着:近鉄電車「富田林駅」
「寺内町」。主に真宗系寺院を中心に発達した自治都市である。大阪市自体が現在の大阪城付近にあったと推定される石山本願寺の寺内町であることから府下には多数の寺内町があり、これまでもいくつかの寺内町を歩いてきた。中でも今回訪れる「富田林」寺内町が最も当時の姿をとどめており、町全体が「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、多くの古い町家と街並みが残る。「富田林」東方2キロにある「大ケ塚」と合わせて2つの寺内町を歩く。
いずれの寺内町も丘陵地であり所々坂道もあるが息が上がるほどではない。ほとんど平坦な舗装道を歩く。「大ケ塚」にはトイレがひとつ、その他は給水・トイレには困らない。(歩行距離8キロ)
近鉄長野線「富田林駅」。南口から出て駅前の信号を渡ったところの観光案内所でパンフを入手。最近はこのような案内所が充実しており、わかりやすいウォーキングマップが用意されスタッフの方も丁寧に説明してくれる。「富田林」寺内町はここから南に歩いて5分ほどだが今回は「大ケ塚」寺内町を先に訪れるので駅前バスターミナルから「阪南ネオポリス(又は東山)」行きの金剛バスに乗る。
「金剛バス」。大阪では珍しい電鉄系ではないバス専門(+タクシー)の交通機関だ。富田林市東部と南河内郡を走る。なお、バスカードは使えないので小銭の用意を。ちなみに富田林駅北口は近鉄バスのターミナルになっている。
南河内郡は「河南町」「太子町」「千早赤坂村」の3町村からなる。
7~8分(200円)で「大ケ塚」バス停に着。目の前が「大ケ塚」の三叉路。左の一方通行の上り坂が「寺内町」への入口だ。
坂を上ったところには「だんじり」の格納庫がある。だんじりといえば「泉州」だが、南河内を中心に河内地方にもだんじりは多い。
だんじり格納庫の前に「右・國寶大佛道、左・上ノ太子道」と書かれた道標が。上ノ太子方向(北)に向かって歩く。ここは大阪府南河内郡河南町大字大ケ塚(だいがづか)。
少し進めば左に小さな公園があり公園の前には大ケ塚寺内町の案内板が立つ。
さらに進めば「一須賀神社」に突き当たる。神社に向かって左側の坂道を下った「石川公園」にはトイレがある。この坂道を見てもわかるように大ケ塚の村は丘陵の上に広がっている。
神社東側にも大きな下り坂があるが坂は下らず路地に入る。「荒熊大明神」という小さな社の前を過ぎる。
下り坂の手前に立派な旧家が。
寺内町にはお地蔵さんが多い。左の大きな屋根は「浄土真宗本願寺派極楽寺」。
お地蔵さんを過ぎればまた下り坂がある。結構、起伏が激しい。
ここら辺りが寺内町の最北端になる。大ケ塚は南北700メートル、東西300メートルほどの細長い町だ。
細い路地を抜けて南方向に戻る。
先ほど屋根が見えた「極楽寺」前の坂から北方向を望む。一旦、坂を下り右に進む。
途中二股の分かれ道を左に進む。すぐ右手の丘の上に何宗だろう「慶弘寺」。お寺というよりお堂という感じで境内は児童公園になっており片隅にはお地蔵さんが。
境内の階段から見えるのはだんじり格納庫だろうか。
下った分、坂道を上り頂上付近の複雑な五叉路からぐるっと路地を回る。大ケ塚はおそらく当時の区割りはほぼ完全に残されているのだろうが、結構、家の建て替えは進んでおり、古い家屋や街並みは積極的に探して行かなければならない。
元の五叉路に戻り南に進み一つ目の三叉路を右に。「えっ、こんなところに。」というような感じで立派な割烹料理店がある。
昔使っていた看板だろうか。
料理店のすぐ南隣が「大ケ塚御坊」と呼ばれる「浄土真宗顯證寺」だ。山門の上に鐘楼がある。大ケ塚は石川の水運を利用して河内木綿、米、酒などの集積地として発達した集落であるが、織田信長の河内入りに際し自衛のため根来衆の道場であった善念寺を久宝寺御坊(八尾)顯證寺の通寺としたことから寺内町として栄えたという。
広い境内に立派な本堂が建つ。
久宝寺御坊と同じ「顯證寺」である。(3つの御坊を訪ねる「萱振」「八尾」「久宝寺」参照)
御坊前の道を東に入り細い路地を進んでいく。
路地を抜ければ「浄土宗善正寺」と「融通念仏宗大念寺」が並ぶ。(正面・善正寺。右・大念寺)
地蔵堂越しに大念寺を望む。
立派な境内の大念寺。久宝寺寺内町もこの後訪ねる富田林寺内町にも融通念仏宗の寺院があるが、寺内町は大阪市平野区に本山がある融通念仏宗と深いつながりがあるようだ。(三つの御坊を訪ねる「萱振」「八尾」「久宝寺」参照)
大念寺の南側には立派な旧家が。蔵の前には道標。
ウォーキングコースになっているようだが、さほど観光的な要素のない静かな町なので住人に迷惑をかけないようマナーを持って歩こう。途中、すれ違った「歩人」はひとりだけ。
旧家の南東角から善正寺方向を望む。
鍵型に西に曲がる。おそらくこの町で一番大きなお屋敷ではないだろうか、立派な蔵が二つ並ぶ。ここらが寺内町の南端だ。
一旦北に上り突き当たりを左に、さらに次の角を左(南)に曲がる。左手に地蔵堂が見えれば向かいの細い路地を右(西)に入る。
この細い急な坂道を下りれば元の大ケ塚三叉路に出る。およそ2.5キロくらいだっただろうか1時間ほどの「歩紀」。
大ケ塚三叉路から富田林寺内町に向け、往路はバスで走った道を約2キロひたすら歩く。私は2キロをだいたい20分のペースで歩く。
金剛山地(後方)の清流を集めて流れる「千早川」を越えれば富田林市だ。
往路、バスで渡った「金剛大橋」を右に曲がり石川を渡る。遠くには花火で有名なPL教団の塔が見える。石川は和泉山脈を源に途中「滝畑ダム」を経て南河内地方を潤し大和川に注ぐ。
橋を渡り信号を左に曲がる。すぐ左側に「大師堂」が見えてくれば道は間違っていない。
左に石川の河原を見ながら一つ目の角を右へ。旧千早街道の「山中田坂」という坂を上れば「富田林寺内町」だ。
坂の頂上は階段になっており上りきると、右に「富栄戎神社」左に町家風の「じないまち展望広場」がある。
「じないまち展望広場」は、簡単な展示コーナーやトイレなどを備えた休憩施設で入場無料、午前10時から午後5時まで利用できる。
庭からの眺め。左端のふたこぶの山が「二上山」。その右が「竹内峠」。右端が「河内葛城山」。写真には収まらなかったが、その右に大阪府最高峰「金剛山」を望むことができる。
「じないまち展望広場」を出て左へ。遠方に金剛山を見ながら道なりに右に曲がる。「東林町」という通りで酒造業を営んでいた「橋本家」(18世紀後半)や木綿商「木口家」(18世紀中期)「中井家」(19世紀後半)などの旧家が並ぶ。
富田林寺内町は東西400メートル、南北350メートルの中世から続く寺内町で町全体が「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。南北の通りを「筋」、東西の通りを「町」と呼び、6筋7町の碁盤目状に町割りされている。
案内板のある「木口家」の四つ辻を左に入り道なりに進む。三叉路の角に立つ東高野街道の道標には「町中くわえきせる、ひなわ火無用」と刻まれている。木造建築の日本家屋は火事が大敵だ。
三叉路のすぐ前には「勝間家住宅」。江戸時代末期の建築で週末と祝日のみ一般公開されており当時の農具などが展示されている(200円)。
「勝間家」の前を北に上る。現在も呉服商を営む「上野家」や「仲村家」などの旧家が並ぶ。
新旧の地番表示が。
「西林町」を西に進むと左手に「寺内町センター」。
ここも寺内町の資料展示コーナーやトイレ、自販機などを備えた休憩施設で午前10時から午後5時まで無料で利用できる。
その向かいに建つ一際立派な屋敷は「旧杉山家住宅」。17世紀中期の建築で寺内町最古、国の重要文化財に指定されている。内部も一般公開されており、当時の南河内地方で栄えた豪農の生活がうかがえる(400円)。なお、寺内町内で公開されているのは「旧杉山家住宅」と「勝間家住宅」のみで、他は住民の方々が生活されている一般住宅なのでマナーのある観光を。
さらに西に進み坂道を下る。坂の下に「浄土真宗西方寺」という寺院があり、山門前に北へ入る路地があるので進み坂を上る。角には城と見まがうような立派な石垣が組まれている。
石垣右の坂道を上れば「旧杉山家住宅」の北西角に出る。
「旧杉山家住宅」北の「御坊町」を東に進み二つ目の筋が「城之門筋」。筋の西側には「富田林御坊」である「浄土真宗正聖寺派興正寺別院」。永禄3年(1560)、証秀上人が開基したといわれ富田林寺内町はこの寺院を中心に形成された。鐘楼隣の山門は桃山城から移築したもの。
寺院前の400メートルにわたる「城之門筋」は「日本の道百選」に選定されている。ただ、ただ、ただ……路上駐車の軽四が邪魔。誰もが写真を撮りたいスポットでの駐車や「弁当広げ」などは謹んでもらいたい。
仕方がないので逆方向を撮影。しかし、こちら側も素晴らしい街並みだ。
次の「亀ケ坂筋」を左折、「堺町」との四つ辻に建つレトロなビル「中内眼科医院」。国の登録有形文化財に指定されている。できた当時は寺内町に似合わない近代的な建物だったのだろうが月日の流れとともに味わいが増してきたのだろう。
「堺町」を西に進み、駐車軽四を避けて「城之門筋」を北向きに望む。
旧家に見られる小さな窓は「虫籠窓(むしこまど)」と呼ばれ、流行があるのか時代によって形が異なるといわれる。
古い街並みが続く。
「本町筋」に出て一旦左折し「西筋」へ。「融通念仏宗浄谷寺」。平野区に建つ融通念仏宗本山「大念仏寺」の末寺といわれる。
「西筋」から「北会所町」に出て薬局の角を右へ。「富筋」の街並み。
次の「南会所町」を一旦右折して「薬師堂」に。
Uターンして「南会所町」を「富筋」「城之門筋」「亀ケ坂筋」を越えて東進し東端の「東筋」を左折。次の四つ辻で左折し、同じ「筋」を逆の順に越えて「富筋」まで「北会所町」を西進する。古い街並みや旧家が続く。

あの軽四はまだ止まっている。



「富筋」を右折すれば「富山町」との交差点に「じないまち交流館」が建つ。
「じないまち展望広場」「寺内町センター」同様、無料の休憩施設だ。これらの施設では駅前の「観光案内所」でもらったウォーキングマップと同じものが置かれているので各人それぞれのスタート地点に合わせて最初に立ち寄れば良い。
「じないまち交流館」内からの眺め。
「じないまち交流館」前の「富山町」の街並みも素晴らしい。
「城之門筋」との四つ辻に建つ材木商を営んでいた「奥谷家」(手前)と油屋を営んでいた「東奥谷家」(奥)。
「東奥谷家」前から「城之門筋」を望む。
この四つ辻には今は暗渠となっている水路にかつて「岩永橋」という橋が架かっており、今も橋の跡が残っている。
「日本の道百選」の「城之門筋」を北端から望む。
そろそろ終盤に近づいてきた。寺内町の最北端「北口地蔵」その横に古い道標が立つ。
西に進むと「ちびっこ交通公園」の横に秋祭りを知らせる提灯が飾られていた。
さらに西へ進むと「本町公園」という小さな公園に出る。杉山家で生まれた女流歌人で与謝野晶子とも交流があったという「石上露子」の歌碑や杉山家に一時滞在した「織田作之助」の記念碑がある。富田林駅をスタート地点とすれば一番最初に訪れる場所だ。
公園の北側は本町という町で富田林寺内町からは外れるが古い街並みが残る。
5分ほど歩けば最初に立ち寄った「観光案内所」前で交差点を渡り近鉄「富田林」駅に着く。ここから「大阪阿部野橋」駅まで約30分(430円)。およそ3.5キロ、すべての筋と町を視野に入れたはずだ。1時間30分の「歩紀」。