野里町歩紀

月1回のペースで大阪近郊の「野」「里」「町」を歩きます。そして合間にちょっと気になったことや世情について思いつくままつぶやきます。ただ論争は好みません。

石の文化財「余野の石仏」

訪問日:平成22年3月20日(土)
出 発:阪急バス「余野」
到 着:阪急バス「余野」


 豊能町は「能勢石」と呼ばれる石の産地であり、石碑・墓石等石材を加工する業者も多い。また、町の方々には能勢妙見への道標や丁石のほか立派な宝篋印塔や石灯籠・地蔵石仏などが点在する。

 余野は、大阪池田から亀岡に抜ける「摂丹街道」と茨木から伸びる「亀岡街道」とが交わる交通の要所であり、東能勢村史によると能勢一族の支流が余野氏を名乗り「余野本城」を構えて治めた地であるというが定かではない。しかし、豊能町としては珍しく比較的広い田園地帯が開けており、政治の中心地だったのは間違いないだろう。今でも町役場や中央公民館、国保診療所など公共施設が多い。摂丹の国境にそびえる山からなだらかに下りてきた丘陵地である切畑の里には多くの石仏が残されている。
 石の文化財を求めて穏やかな村里を歩いてみた。

 ほぼ平坦な里道には案内板も整備されており歩きやすい。時折、石仏を求めて野道に入るが足場はしっかりとしている。余野の町中にはコンビニや商店、自販機がある。その他は、自販機や寺社の参拝者用簡易トイレがあるくらいだ。(歩行距離13キロ)


 豊能町役場前に阪急バス「余野」停留所がある。阪急池田駅から約40分(540円)。能勢電鉄妙見口駅」がある豊能町西地区とを結ぶ町営巡回バス(100円)は、「中央公民館前」に着く。


 豊能町役場前から国道423号線を北上し「切畑口」交差点を右折する。城山高校跡のすぐ下に「錦山塚」がある。村力士の碑らしい。


 錦山塚を過ぎるとすぐ左の山手にお寺が見える。「西山浄土宗遊仙寺」。何の木だろう。満開だ。境内には小さな墓を積み上げた「寄せ墓」がある。


 遊仙寺から下りてさらに進み案内板に従って田んぼの中を行く。「余野の十三仏」が迎えてくれる。1564年の造立で豊能町の写真コンテストの常連である。


 府道からそれて山手に入ると林の前に「切畑西野多尊石仏」がある。


 少し山手に入ると鳥居が。中に入って見ると小さな祠があった。


 府道に戻りさらに歩く。左手の集落の上にお寺が見えた。「日蓮宗法性寺」。


 境内に入りすぐ右にあるのが、大阪府有形文化財に指定されている「切畑法性寺石風呂」。鎌倉時代に製作されたらしい。


 さらにお寺の奥に進むと「法性寺の地蔵石仏」。


 法性寺を出て府道に戻らず村の小道を進む。集落裏手の山の中に「切畑中の西多尊石仏」があった。


 府道に戻り進んでいくと左手山の上に鳥居が見える。道がなかったので土手を上る。「走湯神社旧跡地」というらしい。小さな祠があった。境内から「神様目線」で写真を撮る。村の豊作を見守ってくれていたのだろう。


 切畑の集落を進む。


 田んぼの真ん中に何でもない石のモニュメントが。石が余っているのだろうか。


 この道は案内板が整備されているが、下調べしていた「貝川三位の墓」は結局見つけられなかった。次の目的地「切畑大円下所(おおまるしもんじょ)地蔵石仏」はすぐに見つけることができた。


 そのすぐ先に「切畑大円下所多尊磨崖仏」これもすぐに見つけることができた。自然石に円頂合掌の坐像22体と1体の阿弥陀立像、1基の五輪塔が彫られ天正2年(1572年)の銘文がある。


 府道に戻り少し進んだ左山手に「大円釈迦堂」があり、そのすぐ横に「大円釈迦堂宝篋印塔」が


 そのすぐ隣に「大円釈迦堂三尊笠塔婆」がある。乾元2年(1303年)の製作で豊能町最古の石造文化財である。


 さすが石の里、灯籠も立派だ。


 この地で産出される「能勢石」は石英閃緑石と呼ばれ堅いため加工が難しいが、一旦彫られた彫刻は風化しにくく、後年までその姿を伝えている。特に切畑大円の石英閃緑石は「黒御影石」として全国に出荷されている。


 そろそろ切畑集落の最深部だ。大円集落センターという集会地があり自販機がある。すぐ後ろに「大円観音堂」が見える。小さな観音堂だが立派な石段がある。


 お堂の前にはかわいらしい「大円観音堂宝篋印塔」が。きれいな花が手向けられていた。


 梅の花を見ながら山沿いに歩いて行く。


 「大円千郷」と呼ばれる水田地帯に出る。


 ここも懐かしい風景が広がる。


 きれいな小川の底に光るものが。「砂金」だ。実は、これは「雲母」と呼ばれる石の欠片らしい。私が子供の頃は「砂金」と呼んで喜んでいた。子供らしい「夢」だ。「砂金」でいい。別にお金に換えるわけではないのだから。


 ここから少し森の中に入る。なんだか辺りがザワザワする。宮崎駿の世界のように。森の中に「大円藤ノ森神社跡」があった。ザワザワはこのお社のせいだったのだろうか。


 森を抜けると急に垢抜けした街並みに出る。「希望ヶ丘ニュータウン」だ。


 この付近に「木代妙見山道標」があるはずなんだが、付近は造成中で見つけることはできなかった。ここら辺りから木代の集落。


 府道沿いに「曹洞宗朝川禅寺」がある。ここの地蔵石仏や無縫塔も結局見つけることはできなかった。


 府道を進み木代川の橋を渡ったところに「木代三位塚の地蔵磨崖仏」があった。


 さらに進むと「走落神社」に出る。


 鳥居をくぐると立派な杉の木が。


 境内には「石灯籠」がある。明治40年、余野の「天武天皇宮跡」から移されたものらしい。これについては「彼岸花とコスモスが咲く秋の棚田を訪ねる」のページでも触れる。


 10分ほどでスタート地点の中央公民館前の町営バス「余野」停留所に着く。阪急バス停まではあと少し歩く。本日の「歩紀」5時間30分。