東京の郊外にある勤め先敷地内の社宅に住んでいた私は、都心で買い物をするため最寄りのバス停からバスに乗りました。そのバス停は始発から二つ目の停留所で、休日の昼前でもあったことから私が乗った時には他に誰もお客さんはいませんでした(はずです)。私は中央が乗車口で前方に降車口がある車内の乗車口正面。つまりバス中央部の右側座席に座りました。
渋滞もなくバスは順調に走り、ほとんどお客を拾うこともなく途中でやはり買い物にでも行くのでしょうか、4~5人の女性客が乗ってきただけです。車内はガラガラですので、みんな降車時に便利な前方の座席に座りました。
バスは途中で交差点を直角に左折するのですが、その時バス右側に座っている私の窓越しにたくさんの赤色灯が回っているのが見えました。消防車です。もう消火活動は終わっているようでしたが、10台近くの消防車が集まっていたので大きな火災でもあったのでしょう。バスが左折するにつれ首を右に回し、その後リヤウィンドウ越しに様子を見ようと首を左に回したその時です。後部座席の左端に初老の男性がうつむいて座っているのです。見るからに安物のキャップ帽に白いマスクを着けていました。
風邪でもひかない限りマスクは着用しない時代のことですのではっきりと覚えています。「あれ?いつ乗ってきたんだろう。気が付かなかったな」と思いながらも、特に振り返ることもせずバスは終点の駅前に到着しました。
前方に座っていた女性客らはすぐに下車しました。私は小銭の持ち合わせがなく通勤で電車・バスを利用することもなかったので交通系カードも持っていません(というより当時交通系カードはさほど一般的ではありませんでした)。両替の必要がありましたので後部座席の男性に先に下りてもらおうと思い、そのままじっと座っていたのです。しかし、いつになってもその男性は来ません。おかしいなと思い後部座席に目をやると、そこには誰も座っていないのです。バス中央に座っている私の横を通らずに下車することはできないはずなのですが。
あの男性はどこに行ったのでしょうか。そして誰だったのでしょう。あの火災と関係ある人だったのでしょうか。奇妙な体験でした。本当の話です。