野里町歩紀

月1回のペースで大阪近郊の「野」「里」「町」を歩きます。そして合間にちょっと気になったことや世情について思いつくままつぶやきます。ただ論争は好みません。

織姫伝説の町「池田」

訪問日:平成22年9月18日(土)ほか
出 発:阪急電車池田駅
到 着:阪急電車石橋駅


 大阪府北部、猪名川を挟んで兵庫県川西市と接する大阪府池田市日本書紀に約1700年前、応神天皇が中国・呉の国に使者を遣わし「呉織(クレハトリ)」「穴織(アヤハトリ)」という二人の織姫を連れ帰って機織・染織の技術を伝えたという「織姫伝説」が伝わる。

 市内は五月山を中心に北の山間部と南の平野部に分かれるが今回は五月山南麓から阪急電車に沿って平野部を歩く。市内は8つの街道が交わる交通の要衝であり、また戦国時代の城下町でもあるため今でも多くの道標や地蔵、古い街並みが残る。五月山麓は坂道が多いが全体的には平坦な舗装道で給水・トイレには困らない。

 写真の大部分は平成22年9月18日に訪れたものだが、池田市は私の通勤コースであり自宅からも近いので仕事の行き帰りや休日に何回かに分けて歩いた場所も含まれる。そのため編集のうえ「モデルコース」として設定した。4~5時間ほどの「歩紀」だろう。(歩行距離17キロ)


 梅田から約20分(260円)。阪急宝塚線池田駅」をスタート。駅の南口から宝塚に向かって左側の高架沿いにある大きな鳥居をくぐれば「呉服神社」だ。「呉服」と書いて「くれは」と読む。


 呉の国から来た二人の織姫のうち「呉織姫」をお祀りし、町では「下の宮さん」と呼ばれている。慶長9年(1604)の再建で境内には「戎社」も祀られていることから庶民的な感じのする神社だ。


 神社周辺はきれいに区画された住宅街だが、蔵や板塀の旧家が多く見られる。ここは、明治43年(1910)、当時の箕面有馬電気軌道(現阪急電車)が日本初の電鉄会社による住宅地として開発した「室町住宅地」。


 100年以上前の「ニュータウン」なので、さすがに当時の家屋は残っていないが、それでも所々に古い家が見られる。


 住宅街東の池田駅から下る府道を渡り地図を頼りに満寿美町の方へ。変わった建物が見えてくる。「インスタントラーメン発明記念館」。実は世界的に有名な「チキンラーメン」は、池田市で生まれた安藤百福という人がこの地で発明したのだ。そのため池田は「インスタントラーメンの町」とも言われている。「長浜」や「喜多方」などご当地ラーメンは多いが「インスタントラーメン」は珍しい。


 池田市を走る阪急バスも「チキンラーメン」仕様だ。


 入場は無料(オリジナルラーメン作りは実費。火曜日休館)。修学旅行生や国内外の観光客で賑わう。


 記念館の南側の路地を南へ。住宅と住宅の間のちょうど1軒分位のスペースが柵で囲まれており。そこに「染殿井」がある。呉織姫と穴織姫が糸を染めるのに使ったという井戸跡だが今は小さな石碑が残るだけだ。


 染殿井を南に進み一つ目の四つ角を左に。辻ごとに左を覗くと5分ほどで鳥居が見えるので左折。呉の国より二人の織姫を連れ帰った応神天皇の使者「阿知使主」と「都加使主」を祀る「猪名津彦神社」である。


 神社の北側の道を北に進む。阪急の高架をくぐると国道176号線に出るので左折。池田駅方面に向かうと石造りの立派な建物の前に出る。昭和27年築の重厚な池田銀行本店。新しい看板は合併後の「池田泉州銀行」となっているが正面には「THE BANK OF IKEDA」と刻まれている。国道176号線は、旧能勢街道である。


 国道を北に進む。税務署や郵便局、市役所などの官庁街を通り阪急池田駅を過ぎ「池田駅前」交差から「サカエマチ1番街」という商店街に入る。アーケード街だが昔の「尼崎・伊丹道」。古い作りの商店も多い。そのひとつ「引札屋」。池田の特産品店と観光案内所を兼ね喫茶コーナーもあるので休憩がてら覗いて見るといい。


 「池田炭」も売られている。池田炭とは兵庫県川西市黒川や能勢などで焼かれた上質の炭で茶の湯などで重宝されている。池田の山で産出されるのではなく、池田で集荷され売られているので「池田炭」と呼ばれる。切り口がきれいな菊の形をしている。(「紅葉の里山と能勢妙見」でも触れる)

 
 一旦、通りでアーケードが切れ、次のアーケードが「2番街」。このアーケードが終わる手前右側のコンビニ横にも古い店がある。


 その前に歯医者さんがある。入口は近代的な作りだが、旧家なのだろう裏は立派な板塀の屋敷である。この路地を西に進む。


 突き当たりを右折すると西行き一方通行の道路に出るが、この道路は「ほんまち通り商店街」といい、後で歩くのでとりあえず横断すると正面にも古い街並みが見えてきた。正面に見えるのは「浄土宗西光寺」の山門だ。


 山門の左にある駐車場前に「右能勢街道、左篠山街道」と書かれた古い道標が立つ。


 西光寺の東隣には、池田で2軒残る造り酒屋のひとつ「吉田酒造」。


 母屋、蔵、塀が国登録有形文化財に指定されている。その奥は残念ながら阪神大震災で倒壊したらしい。池田市阪神大震災で大きな被害を受けている。


 西光寺と吉田酒造の間の路地を北に上り、一つ目の辻を左折すると「浄土真宗弘誓寺」の前に出る。山門の上に鐘楼がある。「弘誓寺(ぐぜいじ)」と読む。


 そのまま進み出雲大社教に突き当たって左折、一つ目を右折すると地蔵と井戸が並ぶ。この辺りは井戸が多い。


 この狭い路地の奥にも古い街並みが残されている。


 突き当たりを右折するがさらに左の袋小路に入ると井戸が。


 元の辻に戻り左へ。すぐに「日蓮宗本養寺」の前に出る。山門横には法界石塔と地蔵尊が立つ。門の前を進むと道に半分埋もれた本養寺への道標がある。


 右に曲がる。先ほど弘誓寺から出雲大社教会前に渡った道を今度は北から南に渡る。この通りにも古い街並みが残る。「稲束家住宅」。江戸時代後期の建築で国登録有形文化財に指定されている。


 古い路地には井戸跡も残る。


 稲束家住宅を過ぎ、すぐに狭い路地を左折。「真言宗高法寺」前を一旦過ぎると地蔵尊前に道標が。


 元に戻り「高法寺」前を通り過ぎる。


 呉春の酒蔵に突き当たるので右に曲がれば、もう一つの造り酒屋「呉春」の立派な建物の前に出る。


 この付近にも古い建物が多く良い雰囲気だ。


 呉春のすぐ南には「サカエマチ2番街」のアーケードが見える。ここと交わる東西の通りが少し前に渡った「ほんまち通り商店街」である。素晴らしい通りなのでゆっくり歩いて見よう。この四つ角は「井戸の辻」と呼ばれるところで水質の良い井戸が多いらしい。


 まず、すぐ右のお肉屋さんの裏に小さなお堂があり、中には井戸と稲荷社が祀られている。


 すぐにレトロな建物が見える。現在は衣料品を扱う「河村商店」。大正7年に建てられた「旧加島銀行池田支店」。一見レンガ造りのようだが実は木造建築らしい。国登録有形文化財に指定されている。


 駐車場を挟んで建つのは「落語みゅーじあむ」。池田市は「池田の猪買い」「牛ほめ」など池田を題材とした落語が多いことや市南部に受楽寺という「二代目桂春團治」と縁の深い寺があること。また、先頃「六代目桂文枝」襲名を発表した上方落語協会の会長「桂三枝」氏が住んでいることなどから「落語のまち」としても有名だ。


 そのすぐ隣には「紅屋呉服店」跡。今も呉服店の看板が掲げられるが中はラーメン屋である。


 その隣には「長谷川紙商」跡。現在も「ハセガワアート」という画商である。(残念ながら半分は取り壊されマンション建設中だ)


 先ほど西光寺へ行くのに渡った路地に出る。左には「池田呉服座」。かつて猪名川堤防上にあった芝居小屋(後で訪ねる)。当時の建物は愛知県の「明治村」に移築されたそうだが、平成22年、マンションの1階ではあるが41年ぶりに復活し大衆演芸が上演されている。


 すぐ目の前が「西本町」交差点。国道176号線はここで左折し、旧能勢街道と分かれ兵庫県川西市へと続くが、箕面勝尾寺から宝塚中山寺へと結ぶため「巡礼道」とも呼ばれる。猪名川に架かる「呉服橋」も「巡礼橋」と呼ばれ、川を渡れば兵庫県川西市だが渡らずに堤防を左へ。「呉服座跡地」の碑が立つ。後ろが呉服橋。


 西本町交差に戻る。ここから左折(北上)し、国道173号線と名を代えた旧能勢街道を進む。マンションの1階に古いうどん屋が見える。「吾妻うどん」。お客さんには有名な落語家も多いらしい。


 次の信号に「いけだピアまるセンター」というレトロなビルが立つ。大正14年建築の「旧池田実業銀行本店」。国登録有形文化財に指定されている。


 ここで信号を渡る。すぐ北の某政党生活相談所という建物を右に入ったところにも古い井戸がある。ここらの井戸はほとんど現役だ。


 次の信号が「中橋交差点」。ここの角にも古い建物が残る。


 また、交差点向かいの「川上商店」という古い建物を入ったところが先ほど歩いた「本養寺」付近の古い街並みだ。


 交差点を猪名川方向に歩く。中橋という橋を渡る直前を右に曲がる。すぐに「唐船が淵」と掘られた石碑の前に出る。ここが呉織姫と穴織姫が呉から着いたとされる場所だ。実は日本書紀には二人の織姫が武庫川の津に着いた後の道取りは記載されていない。いくつかある伝承の地のひとつがここだ。碑は河原ではなく堤防上にあるので間違って河原に下りないように。


 唐船が淵の前には巨大な新猪名川大橋(阪神高速道路池田線)が架かる。


 中橋交差点に戻る。左折して旧能勢街道を北上すれば細河という田園風景が残る地区に出るが今日は時間の都合で訪れない。交差点を渡ればすぐ左側に「伊居太神社」の長い石段が現れる。


 呉服神社に対して「上の宮さん」と呼ばれる。もう一人の織姫「穴織姫」を祀る。呉服神社と同じ慶長9年の再建であるが、山の中にひっそりと佇み神々しい雰囲気が漂う。


 神社境内から途中、右手の山に上がる道があるので上る。そこは「五月山動物園」。池田市営の小さな無料動物園で、ウォンバットという珍獣や引田天功氏から寄贈されたアルパカという小動物がおり、まちのゆるキャラにもなっている。

 
 動物園から広場を抜けて階段を下りる。道標のある小さな坂道に出る。坂の途中に見えるのは「油掛地蔵」。ここは池田の名物「がんがら火祭り」で五月山山中の愛宕神社から下ってきた御神火を大松明に移す場所でもある。


 油掛地蔵の前の坂を上ると五月山公園を走る「五月山ドライブウェイ」の入口に出る。五月山は、「桜」「さつき」「ツツジ」などの花が有名でシーズンには多くの人で賑わう。


 この信号を渡り坂を下りると交番の前にも古い屋敷がある。交番と屋敷の間の地蔵尊がある路地を入る。


 小さな川に突き当たるので右に折れる。このような風景に出会う。


 途中、左に曲がり地蔵尊の前を抜けると「池田城跡公園」の北門へと続く。多田源氏と縁のある池田教依が1300年前半に築城したと言われるが詳しくはパンフ等で。櫓風の休憩展望台や庭園が築かれている。


 展望台から池田市内を望む。


 展望台を下り公園の西門から出る。長い階段を下り地蔵横の路地を南に。ハローワーク北側の路地に突き当たるので左折する。逸翁美術館に続く坂道の横に「がんがら火祭り作業場」がある。7月に入ると、ここで祭り用の大松明を作る作業が行われる。作業場前には地蔵尊愛宕社があり、8月24日の祭りの最後に、ここで大松明の火が納められる。


 逸翁美術館は後で訪ねるので、一旦戻って左に曲がりハローワークの正面に出る。この道は先ほど歩いた「ほんまち通り商店街」の延長線上であり「巡礼道」と呼ばれる道だ。前に目をやると緩やかな坂道が見える。「めんも坂」と呼ばれる坂だ。昔この坂で「木綿屋茂兵衛」という人が「めんも楼」という料理旅館を営んでいたことから、こう呼ばれるようになったという。写真の信号を右に曲がる。


 すぐ左に地蔵堂があり、その左に「めんも坂」へと抜ける小さな坂道がある。昔、めんも坂が石段であったため荷車の迂回用として使われた「牛追い坂」と呼ばれる坂道だ。


 急な坂を60メートルほど上ると「浄土宗法園寺」の前でめんも坂と合流する。寺の石垣横にも地蔵堂がある。


 めんも坂を横断し坂道を上る。結構、急な坂道だ。すぐ左に「池田文庫」「逸翁美術館」が並ぶ。池田文庫は、阪急電車宝塚歌劇団創始者小林一三氏(故人)の寄贈書などが収められている。


 小林一三氏は雅号を「逸翁」といい「逸翁美術館」には、同氏所蔵のコレクション等が展示される。池田市が文化的な町であるのは同氏の影響が大きい。


 がんがら火祭り作業場からの坂道と合流し、さらに急な坂を登り、マンションの間を抜けていくと「ふれあい橋」という五月山体育館につながる橋に出る。橋の下を流れる杉ケ谷川の河原は「おんばのふところ」という恐怖スポットだったらしい。


 橋を越え府道を渡って信号を左に。陽春寺への案内板に従って歩き、陽春寺の門を越えたところで「曹洞宗大廣寺」の山門が現れる。池田氏菩提寺である。小林一三氏もここに眠る。


 大廣寺の境内を抜けると元の府道に出るので左折。先ほど渡った府道の信号から「五月山児童文化センター」に入り大きなカーブを道なりに曲がれば石段がある。案内板に従い山に入れば「娯三堂古墳」がある。被葬者は不明だが4世紀ころに造られた円墳で、ここからいくつかの古墳を巡ることとなる。


 府道に戻り左へ。コンビニのある角を右に曲がり急な坂を下ると古い邸宅跡に出る。これは小林一三氏の旧宅「雅俗山荘」で、現在の逸翁美術館が新設されるまで、ここが逸翁美術館であった。今は「小林一三記念館」とフレンチレストランになっている。道が屈曲するのは、池田城の堀跡のためだ。


 真っ直ぐ坂を下ると「めんも坂」から続く道に戻り「星の宮」という小さな神社の前に出る。伊居太神社の御旅所で、昔、呉織姫と穴織姫が夜遅くまで機織りをしていたところ、夜空から七つの星が降って手元を照らしたと言い伝えられる。鳥居の足元には「左、京・大坂」の道標が立つ。


 さらに東に進むと小さなお堂に出る。法園寺の末寺であった極楽寺の「阿波堂」というお堂で訛って「あわん堂」と呼ばれている。手前の石仏は天文16年(1547)の銘があり、年代が刻まれている石仏では池田市内で最も古いと言われている。


 辻ケ池公園で府道と交わり前方に見える小山を目指して歩く。左に市立図書館へ至る階段が見えれば上る。図書館のすぐ裏手に「五月ケ丘古墳」がある。7世紀ころに造られた円墳で、高度な技術を要する陶器製の棺が見つかったことからかなりの有力者の墓と思われるが被葬者は不明だ。


 古墳は五月丘緑地という公園の中にあり、緑地公園の西側の道を北に上ると「茶臼山古墳」に至る。4世紀ころに造られた前方後円墳で被葬者は不明である。古墳全体が茶臼山公園になっておりトイレなども備えられている。


 茶臼山公園前の交番前信号機を渡り「塩塚公園」を過ぎて坂を下る。小さな池の横に穴織神社がある。穴織姫を祀る。


 穴織神社から坂道を下ると五月丘緑地の東南角に出るが、そこにも「呉服神社」という小さな神社が立ち呉織姫を祀る。穴織神社とは、ちょうど「伊居太神社」(上の宮さん)「呉服神社」(下の宮さん)と同じ位置関係になっていることから、何かの由緒があるのだろう。


 神社前の信号を渡り「産業技術総合研究所」という国立の施設北側を西に進む。辻ケ池公園でUターンし、同研究所の南側を東に進む。ここも「旧能勢街道」で古い家も見られる。


 研究所の南門前を過ぎ、次の信号を渡ってから右折すると、すぐ左に入る道があるので進む。「鉢塚古墳」の小山をぐるっと回れば「五社神社」の前に出る。神功皇后にまつわる古い神社らしい。


 参拝を終え、左右どちらからでも回れるので拝殿の裏手に回り木戸を開けて中に入る。「五社神社奥の院」と書かれているが、これが「鉢塚古墳」だ。6世紀ころ造られた上円下方墳で「石舞台古墳」に匹敵する石室があることから、かなりの有力者の墓と思われる。


 石室内には鎌倉時代中期に造られた「石造十三重宝塔」などがあり、国指定重要文化財になっている。真夏でもひんやり涼しいがヤブ蚊が多い。


 神社を出て左に進み大きな屋敷の横を抜けると、先ほど信号で分かれた「旧能勢街道」と交わる。「尊鉢厄神」への案内に従いたばこ屋さんの角を入る。


 「高野山真言宗若王寺釈迦院」という古い寺の前に出る。山門を入ってすぐ右の階段から境内に入る。除厄殿があることから「尊鉢厄神」とも呼ばれ、毎年厄除大祭が行われる。


 除厄殿裏の宝篋印塔は、正安元年(1299)に造られたもので重要美術品に指定されている。


 このお寺も神功皇后にまつわる古いお寺らしい。


 庭も美しい。紅葉の時期は素晴らしいだろう。


 釈迦院を出てさらに「旧能勢街道」を進むと「水月公園」という大きな公園に出る。梅林や菖蒲園、噴水、人工滝などが配されている。


 菖蒲園には友好都市締結3周年を記念して中国・蘇州から贈られた「斉芳亭」が立つ。


 「旧能勢街道」に戻り「押しボタン式信号」を渡って道なりに進む。地蔵堂と道標の前で「有馬道」と合流する。有馬道は「西国街道」から分岐して有馬まで結ぶ道で、豊臣秀吉もこの道で「有馬の湯」に通ったといわれる。


 ここから次の道標まで100メートル余りは「能勢街道」と「有馬道」が重なる。この長い板塀の先に次の道標がある。


 「右・大坂」に従って右折し、有馬道と分かれる。


 すぐに「二子塚古墳」の前に出る。6世紀ころ造られた前方後円双墳で朝鮮半島に見られる構造であることから渡来系の有力者が埋葬されていると見られる。


 頂上に稲荷社が祭られていることから「稲荷山古墳」とも呼ばれる。


 金網越しに石室が見られる。今回訪ねた「娯三堂古墳」から「二子塚古墳」そして今回は訪ねなかったが豊中市内の「待兼山古墳」までほぼ一直線上に古墳が並ぶ。古代ミステリーだ。また、5世紀に造られた古墳がないことから、この時期、池田には有力者が存在しなかったと考えられる。


 二子塚古墳前から南に進み、阪急バス車庫の間を抜けると、国道176号線を171号線が高架で跨ぐ複雑な「井口堂交差」に出る。フィットネスクラブを目印に阪急ガードをくぐれば箕面川に架かる「赤い橋」(箕面川橋)前に出る。そして橋の向こうの商店街入口に書かれているとおり、この商店街は「旧能勢街道」なのだ。


 商店街を進むと突然左に、阪急石橋駅西口の改札が現れる。今回のゴールだ。