野里町歩紀

月1回のペースで大阪近郊の「野」「里」「町」を歩きます。そして合間にちょっと気になったことや世情について思いつくままつぶやきます。ただ論争は好みません。

韓国

私はかつて韓国語を習い、通訳のような仕事をしていた時期もあります。ナショナリズムやイデオロギーではなく、語学という観点から述べています。

80年代の韓国歩紀~金海国際空港から帰国の途へ

8月21日、1週間の韓国滞在を終え帰国です。釜山近郊の「金海(キメ)国際空港」から大阪国際空港に向かって出発します。直線距離で約580km。大阪から鹿児島くらいの距離でしょうか。飛行機は上昇したかと思うと眼下には九州や中国地方が見えてきま…

80年代の韓国歩紀~簡単な記念品

旅行中、毎日酒を飲みました。当時韓国での飲酒スタイルは透明なビンの「眞露(チルロ)」という焼酎を飲むのですが、今の日本で売られている緑色の「眞露(ジンロ)」とは違い甘味料としてサッカリンが使われているといわれ、水割りやロックではなく「ソジ…

80年代の韓国歩紀~国連軍墓地

釜山近郊には「国連軍墓地」があります。朝鮮戦争で戦死した国連軍将兵の墓地で韓国語では「UN軍墓地(ユエングンミョジ)」と言います。 墓地は公園として一般開放されており子どもたちが遊んでいました。話しかけると「タラカジャ、タラカジャ(ついて行…

80年代の韓国歩紀~李舜臣

「釜山タワー」の前には「李舜臣(イ・スンシン)」の像があります。李舜臣とは豊臣秀吉による朝鮮侵攻の際の水軍司令官で「亀甲船(コブクソン)」という軍船を駆使して日本軍を撃退したという韓国の国民的英雄です。「コブクソン」は韓国人であれば誰でも…

80年代の韓国歩紀~釜山の街角

釜山では3日間滞在しました。町には頭に荷物をのせた女の人が普通に歩いていました。北朝鮮と対峙しているソウルに比べてのどかな感じがします。気のせいでしょうか町ゆく人たちの表情も穏やかな気がしました。 日本に近く山口県の下関港と結ぶ「関釜フェリ…

80年代の韓国歩紀~五六島

「龍頭山公園」からビル越しに「五六島(オリュックト)」が見えました。ちょっと写真では見えにくいですが、漢字で「釜山」ハングルで「ホテル」と書かれているビルの左側に見える小さな島です。「五六島」とは釜山の沖にある小さな岩礁で、見る角度によっ…

80年代の韓国歩紀~龍頭山公園

釜山市街地の中心に「龍頭山」という小高い丘があり「龍頭山公園」という公園があります。公園内には「釜山タワー」という展望タワーがありました。 高さは120mほどですが龍頭山自体が標高180mほどありますので釜山市内が一望できます。 準戦時国家…

80年代の韓国歩紀~反共国家

釜山は韓国第二の都市であり、「ソウル特別市」に対して「釜山広域市」と呼ばれていますが、当時は「釜山直轄市」でした。韓国南端の日本海に面した港町で、朝鮮戦争当時、首都であるソウルが北朝鮮軍に占領されたため「臨時首都」が置かれたこともあります…

80年代の韓国歩紀~サービスエリアで

途中休憩のため立ち寄ったサービスエリアです。サービスエリアは漢字で「休憩所」と書き「ヒュゲソ」と発音されます。釜山への案内標識を遮るように立てられた看板には「スパイも自首すれば我が国民、我が兄弟。スパイ申告は113・112。沃川警察署」と…

80年代の韓国歩紀~「高速バス」で釜山へ

今回から舞台はソウルから釜山へと変わります。ソウル~釜山は現在であれば航空機の国内線か韓国の新幹線にあたる「KTX」で移動するのでしょう。当時でも韓国の二大都市を結ぶ「京釜線」という日本でいえば東海道本線にあたる鉄道に「セマウル号」という…

80年代の韓国歩紀~板門店

南北軍事境界線(北緯38度)にある「板門店(パンムンジョム)」。今回の旅行で最も行きたかった場所です。ここは単なる観光地ではありません。前日までに「韓国観光公社」というところで申請をしなければなりません。ソウル中心にある当時では最高級であ…

80年代の韓国歩紀~ウォンデゥマック

写真の櫓は日本語で表記するのは難しいのですが、あえてカタカナ表記すれば「ウォンデゥマック(ハングルでは3文字で表記できます)」という瓜やスイカ、いわゆる「瓜畑」で見られる番小屋です。民俗村にありました。授業で習い知っていましたので写真を撮…

80年代の韓国歩紀~民俗村

ソウル市の南方に「水原(スウォン)」という都市があります。そこに「民俗村(ミンソックチョン)」という現代風に言えば「歴史テーマパーク」がありましたので行ってきました。通常であれば観光バスで行くのでしょうが、ソウルと釜山を結ぶ「京釜線」とい…

80年代の韓国歩紀~ウォーカーヒル

ソウル市東端。「漢江(ハンガン)」の畔にある小さな丘です。朝鮮戦争に参戦した国連軍の中核をなすアメリカ軍によって開設されたカジノつまり「賭場」です。以前、車で訪れた賭客の車を借金の形にするための業者まで出没し、社会問題になっているとのニュ…

80年代の韓国歩紀~瓦屋根

瓦屋根の家屋を「キワチップ」といいます。「街道をゆく」では司馬遼太郎が兵隊として戦前「京城」と呼ばれたソウルを訪れた際、貨車の窓から覗き見た民家の屋根瓦が「高麗青磁」に見えたとの一節がありますがこういう風景だったのでしょうか。ソウルで宿泊…

80年代の韓国歩紀~秘苑

秘苑(ピウォン)は昌徳宮の後園として造成された韓国式庭園です。 何やら民族衣装を着た人がたくさん行き交っていました。歴史的遺産の雰囲気を盛り上げるためのエキストラなのでしょうか。 この日も暑かったです。みんな木陰で休んでいました。 歴史ドラマ…

80年代の韓国歩紀~昌徳宮

昌徳宮(チャンドックン)は1405年、景福宮の離宮として建立されました。正門である「敦化門(トンファムン)」です。門の前では自転車に乗った子どもたちが遊んだり、おばさん(アジュンマ)が座って休憩しています。 景福宮焼失後、正宮として使用され…

80年代の韓国歩紀~徳寿宮

徳寿宮(トクスグン)はソウル市庁近くのビジネス街にあり、かつては王族の邸宅として使用されていたようです。最近になって正門である「大漢門」では観光用に当時の装束で衛兵の交代式が行われているようですが、当時は史跡とういうよりもオフィス街のオア…

80年代の韓国歩紀~景福宮

景福宮(キョンボックン)は「李氏朝鮮」つまり朝鮮王朝の王宮として1395年建立されました。ソウルの中心を南北に走る「世宗路」と呼ばれる大通りの突き当りにあります。正殿である「勤政殿(クンジョンジョン)」(国宝)などが再建されています。王た…

80年代の韓国歩紀~光化門と旧朝鮮総督府

ソウルの中心部にある「光化門」です。李氏朝鮮の王宮である「景福宮」の正門として1394年建立されました。豊臣秀吉の「文禄の役」や日本の「韓国併合」などにより焼失や移転を繰り返したそうです。現在の扁額には漢字で「光化門」と書かれていますが、…

80年代の韓国歩紀~白バイ

たまたま町で見かけた白バイ警官です。単車はバイク乗りにとっては憧れの的「ハーレーダビットソン」。基本的に韓国の警察は今も昔も「アメリカンポリス」です。 南大門(ナムデムン)前を走る白バイです。隣では市内バスが黒煙を吐いています。ソウル市内で…

80年代の韓国歩紀~南大門と市内バス

城郭都市「漢陽(ハニャン)」を囲む4つの門のうち最も規模が大きいのがこの「南大門(ナンデムン)」です。ここはソウルの中心地であり付近にはソウル市庁や有名な観光地「南大門市場(ナムデムンシジャン)」などがあります。正式名称は「崇礼門」といい…

80年代の韓国歩紀~東大門とポニー

李氏朝鮮時代の城郭都市であった「漢陽(ハニャン)」の東門である「東大門(トンデムン)」。東大門市場(トンデムンシジャン)というちょっとDEEPな市場と野球場などを備えた大きな運動公園がありました。日本の植民地時代からある大きなスポーツ公園…

80年代の韓国歩紀~地下鉄とタップコル公園

当時1万円を両替すると約6万ウォンになりました。空港で5万円を両替したところ5000ウォン札や1000ウォン札が混じり、札入れが折り曲げられなかったのを覚えています。そして「ウォン」はそのまま「円」の感覚。つまり1万円を両替した6万ウォンが…

80年代の韓国歩紀~ソウル駅

韓国の首都ソウルの玄関口である「ソウル駅」です。韓国の地名は原則すべて漢字に変換できるのですが「ソウル」だけは韓国語で「都」「首都」を表す固有語であり漢字はありません。日本の植民地時代、韓国の首都であった「漢城(ハンソン)」は「京城(けい…

80年代の韓国歩紀~「大韓航空機」でいざ出発

私は以前「放送大学キャンパスライフ」で韓国語を勉強したという話をしました。時期的には80年代半ばの2年間です。その頃、韓国語修行と観光を兼ねて1週間「韓国ひとり旅」をしました。行程はソウル4日間、釜山3日間です。当時の写真を数枚ずつアップ…