野里町歩紀

月1回のペースで大阪近郊の「野」「里」「町」を歩きます。そして合間にちょっと気になったことや世情について思いつくままつぶやきます。ただ論争は好みません。

上町台地「歴史の散歩道」と真田幸村

訪問日:平成22年7月10日(土)
出 発:地下鉄「天王寺駅
到 着:JR「大阪城公園駅」


 太古の昔、大阪は現在の生駒山地の麓まで海であり、その真ん中に大きな半島が伸びていた。その後、淀川と大和川が運ぶ砂により大阪平野が形成され、その半島は上町台地として残っている。大阪市内に伸びる高台「上町台地」を天王寺から大阪城まで歩く。ここは「歴史の散歩道」として整備されたタウンウォーキングコースであるとともに、大坂夏の陣で徳川軍を最後まで悩ませ、ついには壮絶な最期を遂げた真田幸村ゆかりの地でもある。
 給水・トイレの心配はない。前半は木陰も多いが、後半は夏は暑さ対策が必要だ。(歩行距離16キロ)

 国鉄時代、大阪駅に「大鉄(大阪鉄道管理局)」、天王寺駅に「天鉄(天王寺鉄道管理局)」があり、天王寺は、和歌山・南紀方面への一大ターミナルであった。私鉄の台頭により近鉄・南海を中心とした「難波」にその地位を譲ったが、今でも「キタ」「ミナミ」に次ぐ大阪有数の繁華街である。その天王寺ターミナルの西に天王寺公園がある。公園入口の花時計が示すとおり午前10時35分、ここを出発する。


 天王寺と言えば「動物園」だ。昔は、動物園だけが有料で天王寺公園は一般に開かれていたが、野宿者対策のため柵で囲まれ有料になってしまった。入口で料金150円を支払い公園に入る。木々の向こうには通天閣が。


 住友本邸の庭園として作られた「慶沢園」。


 池を中心とした回遊庭園になっており、庭園越しに隣接する「大阪市立美術館」が見える。昭和11年の開館だ。


 慶沢園のすぐ北には「茶臼山古墳」という前方後円墳がある。ここは大坂夏の陣真田幸村の本陣となったところ。本来は古墳だが今は全体が公園として整備され、標高27.2メートルの「茶臼山」と呼ばれている。


 和気橋を渡って茶臼山に向かう。ちょうど頂上が陣を張るのに適した平坦地になっており、真田幸村に関する案内板なども整備されている。


 地図を見ると東に隣接する「堀越神社」に道がつながっているが、途中塞がっており直接行くことはできない。茶臼山北側にある出口専用の回転扉から外に出て「谷町筋」から堀越神社に向かう。ここは大坂夏・冬の陣の古戦場でもある。


 神社前の谷町筋を渡り商店街を南に下り、天王寺駅前交差を東に左折する。市バスの車庫を過ぎると社会保険事務所があるので、その辻を左折し少し進めば「清水の井戸」に出る。お地蔵さんが祀られている。


 そのまま北に進めば左側に「庚申堂」が見える。本堂は昭和45年に大阪吹田で開催された日本万国博覧会の休憩所を使っているそうだが飛鳥時代にさかのぼる古いお堂である。


 庚申堂の東門前から北を見れば「四天王寺」の五重塔が見える。緩やかな上り坂を四天王寺に向かうが、途中、人形浄瑠璃義太夫節創始者竹本義太夫」の墓がある「浄土真宗本願寺派超願寺」に立ち寄る。


 超願寺を出て100メートルほど歩いた国道25号線東行きの目の前が四天王寺の「南大門」。593年、聖徳太子が建立したという日本最古の官寺で四天王寺式と呼ばれる五重塔、金堂、講堂が南北に一直線に並ぶ伽藍配置で有名だ。


 阿弥陀堂前の井戸。


 広い境内を一巡し西大門から谷町筋に向かうが、途中、左に石造りの建物が見えたので表にまわる。「大阪市消防局天王寺消防署元町出張所」。レトロ消防署だ。


 消防署前の信号を渡ると「総本家釣鐘屋」というお菓子屋さんがある。明治33年創業で「釣鐘饅頭」が有名。


 かつて上町台地は、すぐ西側まで海が迫り大阪湾に沈む夕陽が美しかったことから「夕陽ヶ丘」と呼ばれた。その丘にある7つの坂道「天王寺七坂」を南から北に訪ねる。一つ目は「逢坂」。今は国道25号線になっている。


 逢坂を下りながら「安居神社」に向かう。途中「安居神社」と彫られた石柱があったので案内に従って進むと社務所の横から境内に入ってしまった。私は神社は正面から鳥居をくぐって入る主義なのだが、本殿が目の前だったので「裏口から入った」ことを詫びながら参拝。境内には「真田幸村戦死跡之碑」と「真田幸村像」がある。真田幸村大坂夏の陣において、この境内で槍を受け戦死したと言われている。


 参拝を終え正面の階段を下りる。この急な階段から「上町台地の高さ」がわかっていただけるだろう。


 階段を下り鳥居をくぐって細い路地を右に進むと2つ目の「天神坂」の下に出る。安居神社のちょうど北側にあたり、安居神社菅原道真をお祀りする「天神さん」であることから「天神坂」と名付けられている。かつて天王寺七名水のひとつ「安井」があったことから、坂の途中に清水を再現した疎水が作られている。


 坂を上り一つ目の辻を左折し、さらに一つ目の角を左に折れると寺の霊園に出る。案内に従って霊園を抜けたところが「四天王寺支院有栖山清水寺」。大阪市内唯一の天然の滝である「玉出の滝」が京都清水寺音羽の滝を模して三条の滝となって落ちる。


 寺を抜け路地を右に。3つ目の坂「清水坂」に出る。先ほど訪れた「清水寺」の北に位置することから、この名がつけられている。


 清水坂を抜けると大通り(谷町筋)に出てしまうので、一旦、清水坂を下り、星光学園西側の路地を北に進む。学校の敷地を過ぎたところで4つ目の「愛染坂」に出る。


 急勾配の坂を上りきると坂の名の由来となる「四天王寺別院愛染堂勝鬘院」前に出る。境内の多宝塔は、慶長3年(1598年)再建の大阪市内最古の木造建築物で重要文化財に指定されている。 


 勝鬘院横の大江神社境内からの眺めは素晴らしい。勝鬘院前を東に進み路地を左に曲がりしばらく進む。突き当たりを左に折れると、5つ目の坂「口縄坂」だ。七坂の中でも最も情緒のある坂だろう。「夫婦善哉」などで知られる「織田作之助」が最も愛した坂だという。


 階段となっている坂の途中には「夕陽丘女学校跡」の碑が立つ。


 口縄坂を下りると「松屋町筋」に出る。交通量は多い。筋を右折、次の交差点にある坂は、かつて「大阪女子学園」があった(現在も私立の短大・高校がある)ことから「学園坂」と呼ばれているが、天王寺七坂には数えない。


 学園坂を渡り松屋町筋を真っ直ぐ北上する。ここも寺町で浄土宗の寺院が並ぶ。


 400メートルほど歩くと一つ目の辻に出るが、そこが6つ目の坂「源聖寺坂」。坂に向かって左側の寺が「浄土宗源聖寺」だ。


 源聖寺坂を上ったところの左右にも大きな寺院があるが、その寺院を過ぎると左側に古い町家のうどん屋さんがある。その角を左に曲がる。


 この辺りはファッションホテルが多い。ホテル街に続く「生玉公園」を過ぎると「生國魂神社」の鳥居前に出る。神社は「生國魂」と書いて「いくたま」と読む。時期的に鳥居には「茅の輪」が飾られていた。


 お参りをし、そのまま境内を北に抜ける。北門から続く坂が最後の坂「真言坂」だ。真言寺が6坊あったことから、このように呼ばれるようになったという。七坂のうち唯一、南北に結ぶ坂である。


 天王寺七坂巡りを終え「千日前通」を左に進み下寺町交差を歩道橋で渡る。二本ほど北に入った通りを右折すると鳥居の前に出る。高津公園内にある「高津宮」の鳥居だ。難波高津宮跡とされ仁徳天皇を祀る。西側にある狭い急な階段は「西坂」と呼ばれ悪縁を絶つと言われている。


 西坂を下って右折し次の信号を右に曲がる。ちょうど高津宮の北側の道を東に進み、次の信号を左に曲がる。この辺一帯は寺町で多くの寺が並ぶ。ただ、道は舗装され寺も大部分が鉄筋造りで、境内に木も少ないことから京都のような寺町情緒は感じられないのが残念だ。
 

 寺町を北に進むと自然とアーケードの商店街に出る。「空堀商店街」だ。商店街自体が坂道にある。


 ここは「谷町」。谷町商店街を挟んだ谷町6丁目、7丁目は戦災を免れ昭和初期の街並みが残っている。大阪市の中心部で街並みとして残っているのは、ここと梅田の「中崎界隈」くらいだろうか。


 中崎同様、町家を活用したカフェも多い。


 古い街並みが続く。


 間近に高層ビルが迫る。規模は中崎よりやや小さい。


 石垣の高さからすると結構な高低差があるようだ。


 空堀商店街からの延長を東に進む。左右には緩やかな坂道に古い街並みが続く。


 石段の路地も見られる。


 「上町筋」に出れば信号を渡り右折、次の信号を左折する。300メートルほど進むと「餌差町」の交差点に出るが、その北西角に「真言宗豊山派鎌八幡円珠庵」がある。国文学者「契沖」が庵を結んだ場所だが、かつて真田幸村が陣を構えた場所でもある。「鎌八幡」とも呼ばれ悪縁を絶つため榎木に無数の鎌が打ち付けられている光景は不気味だ。境内での写真撮影は禁止されている。


 「歴史の散歩道」として案内板も整備されている。


 さらに300メートルほど進むと左右に大きな公園が現れる。右は昔から「真田山プール」として有名な運動施設を備えた「真田山公園」で左は「宰相山公園」。「真田山陸軍墓地」という戦没者の墓地があるが桜も多い。公園内に「三光神社」という神社があり、その境内には真田幸村の像が立つ。すぐ左には大阪城から続いていると言われる「真田の抜穴跡」がある(実際にはつながっていない)。


 宰相山公園から北に上り「長堀通」を渡ってさらに北に進む。結構、古い建物が残っている。


 台地なので坂や石段、石垣なども多い。


 しばらく進むと「玉造稲荷神社」に出る。「玉造」とは古墳の副葬品などに見られる「勾玉」などを作った一族に因むものだという。


 玉造稲荷神社の西出口から出て右折し、次の信号を左折すると「越中公園」という公園に出るが公園の北西角の木陰に「越中井」がある。


 すぐ南には「聖マリア大聖堂」などカトリック教の大きな教会があるが、この辺りに明智光秀の娘・玉子が嫁いだ細川家の屋敷があり「越中井」は、細川家の屋敷井戸だといわれている。玉子は熱心なクリスチャンで洗礼名を「ガラシア」といい、聖マリア大聖堂の前庭には細川ガラシアの像がある。


 聖マリア大聖堂の前の玉造2丁目交差を西に進むと「難波宮跡公園」の南側に出るが、一旦直進し「上町筋」の上町交差まで行く。交差点の北西角には「大村益次郎」の碑が立つ。大村益次郎村田蔵六)は適塾緒方洪庵の元に入門し、その後、日本陸軍創始者として近代日本創設に貢献するが、暴漢に襲われここ国立大阪病院の敷地内にあった浪華仮病院で最後を迎える。NHK大河ドラマ花神」は、大村益次郎を主人公として描かれている。


 難波宮跡公園に戻る。かつての都として、前期・後期二つの時期に分けて作られた宮跡の複合遺跡だ。


 広い草原に大極殿の基壇や柱の礎石などが復元されており、高い建物や木がないので空が広い。


 難波宮跡公園を出て、北を走る「中央大通」に架かる長い歩道橋を渡り信号を渡ったところが「大阪城公園」だ。外堀に突き当たり石垣に沿って左(西)に進む。堀の向こうの石垣にポッカリと穴が開いている。これが三光神社境内の「真田の抜穴跡」につながる大阪城の抜け穴だと言われている(実際にはつながっていない)。


 外堀の西に立って東方向を眺める。現在は、この「六番櫓」とここからは見えないが「一番櫓」しか残っていないが、かつては7つの櫓が並んでいたらしい。壮観だっただろう。


 正面の「大手門」から城内に入る。すぐに「多聞櫓」がある。大阪城は巨石で有名だ。ここには城内4位5位8位の巨石が並ぶ。


 城内を進んでいくと右手に何やら赤煉瓦の塀が見える。「大阪陸軍兵器支廠本部門跡」とか「大阪陸軍衛戌監獄(陸軍刑務所)跡」とか言われている。今は公園の詰所となっているようだ。


 歴史的遺産に間違いはないのだが、ほんの70年ほど前のことなのに何故わからないのだろう。


 そのまま進むと大阪城の前身といわれる「石山本願寺」の推定地がある。大阪城は豊臣から徳川へ幾度かに渡って新造されており、名も「大坂城」から「大阪城」へと変わるが、ここではその説明は省く。後方の建物は「大阪市立修道館」。柔道場と剣道場がある武道館だ。


 修道館の「桜門」から天守閣のある本丸へと向かう。桜門を入ってすぐのところに城内最大の巨石「蛸石」がある。前に立つ人と比べてその大きさが窺える。


 蛸石を過ぎて左に曲がれば正面に「天守閣」がそびえる。昭和6年の再建で5層8階建ての鉄筋コンクリート造り。エレベーターで天守まで昇り、階段で展示物を見ながら下りていく。高台に立つ高さ50メートルの展望台からの眺めは最高だ。


 天守閣の手前には「金蔵」と呼ばれる海鼠壁の建物が建つ。金貨・銀貨の保管庫で、厳重な構造となっているらしい。


 金蔵を過ぎ天守閣東側の石垣から東方を眺める。大阪城は戦前、陸軍の要塞であり隣接して「大阪砲兵工廠」が建てられていた。現在は広大な公園と「大阪ビジネスパーク(OBP)」という高層ビルやホテルが並ぶオフィス街になっている。


 また天守閣の南側には西洋の城郭のような大きなレンガ造りの建物がある。「陸軍第四師団司令部跡」。戦後、大阪府警の前身である大阪市警視庁本部として使用されたこともあるが、最も長い歴史を持つのは「大阪市立博物館」だ。平成13年、大阪歴史博物館がオープンしたため今は閉鎖されている。


 旧正面口から本丸公園を望む。


 一旦、桜門から出る。修道館の隣には豊臣秀吉を祀る「豊国神社」。鳥居前に豊臣秀吉の像が立つ。
 

 豊国神社前から本丸東側の内堀を眺める。城内で最も高い石垣で20メートルを超える。


 内堀と梅林の間にある陸軍時代「ダラダラ坂」と呼ばれた急な坂を下り、内堀沿いに進むと「極楽橋」が架かる。この橋を渡ると天守閣の北にあたる「山里丸跡」に至るが、ここには石垣の石を普請した大名の家紋が彫られた石が展示されており、後方の石垣下には豊臣秀頼淀君が自刃した場所とされる「秀頼・淀殿ら自刃の地」の碑がある。


 再度、極楽橋で内堀を渡り左へと進む。城裏手(南方)より望む天守閣。


 肥後石と呼ばれる城内第2位の巨石を右に見ながら「京橋口」より城外に出る。


 右に曲がるとすぐにかつて大阪砲兵工廠正門として利用されていた「筋鉄口」。赤煉瓦の門跡が残る。正面の煉瓦造りの建物は「警衛所跡」と書かれたブログもあるが、陸軍時代の古地図には「便所」と記載されているらしい。


 再度、城内に入ろう。そこにも赤い煉瓦造りの建物がある(この写真は一旦城外に出て寝屋川に架かる大坂橋から撮影)。


 大正8年建築といわれる「砲兵工廠化学分析所跡」だ。一時期、自衛隊の募集事務所として使われていたが今は廃墟となっている。歴史的な建物であることから保存運動も起きている。


 北外堀沿いに歩き、大阪城ホール手前の野球場脇から第二寝屋川沿いに進むと「大阪砲兵工廠荷揚門」という水門跡が残るが中は埋められている。
 

 大阪城ホール南側の木陰に「砲兵工廠跡」の碑が立つ。ここから公園を抜ければJR大阪環状線の「大阪城公園駅」。本日のゴールだ。


 大阪城公園は、JRの「大阪城公園駅」「大阪城北詰駅」、地下鉄の「森ノ宮駅」「大阪ビジネスパーク駅」「谷町四丁目駅」、地下鉄・京阪本線の「天満橋駅」の6つの駅に囲まれているので便利な駅に合わせてゴールを決めれば良い。今回は見学に結構時間を費やしたので6時間の「歩紀」となった。